眠れず食べられず、避難所生活で衰弱進む 震災関連死に迫る・第2部(1)下

自宅跡で夫の昭男さんとの日々を振り返るトヨ子さん=2月17日、亘理町

施設入所後、2週間で亡くなる

 介護ベッドを起こし、動かせる左手でスプーンを器用に口に運んでいた。

 「寝たきりだったから食べるのが仕事だった」。宮城県亘理町の伊藤トヨ子さん(86)は津波で全壊した自宅跡に立ち、夫の昭男さんをしのぶ。

 昭男さんは避難所生活で体調を崩し、東日本大震災の2カ月半後、肺炎で死亡した。79歳だった。「もっと長生きできたはず」。ずっとそばにいたトヨ子さんは関連死の認定申請をしたが、町の審査結果は不認定だった。

 底冷えする体育館で見せた夫のつらい顔を思い出すと、いまだに胸が痛む。

  

 「お父さん、逃げるよ」

 2011年3月11日。海から約2キロの自宅から、指定避難所の小学校まで車を走らせた。

 昭男さんは54歳で脳出血を起こし、右半身不随だった。当初はつえをついて歩けたが、震災の4年前に血流が悪くなった左脚を切断して寝たきり状態だった。

 避難所の体育館では毛布にくるまり、冷たい床に横になった。「寒い?」。心配で声を掛けると、後遺症で言葉が出ない昭男さんが小さくうなずいた。

 内陸にある亘理高の体育館に移った後、熱が出て入院した。もともと周りに気を使うこまやかな性格。避難所では眠れず、血色も悪くなっていた。

 避難生活のショックなのか自分で食事を取れなくなり、のみ込むのにも苦労した。5月上旬に移った老人ホームでは半分も食べられない日が続いた。その2週間後、肺炎を起こして亡くなった。入居が決まった仮設住宅に介護ベッドを運んだ翌日だった。

 <避難所の移動、病院間の移動、環境の変化、介護の対応の変化で容体が悪くなった>
 夫の死は震災のせいだったと認めてほしい。11年10月、町に関連死認定を申請し、亡くなるまでの経緯を書き込んだが、その思いは裏切られてしまう。医師ら5人が委員を務める町の審査委員会は「関連がない」と結論付けた。

 「なんで、お父さんの大変さが分かってもらえないのか」。昭男さんの死がないがしろにされているようで、我慢できなかった。

 

 不満がくすぶり続けていた時だった。13年1月、町内の仮設住宅集会所であった安倍晋三首相(当時)との車座での懇談会で、トヨ子さんは手を挙げた。

 「私なりの意見ですがどうかお聞き下さい」

 苦しい胸の内を聞き届けてもらいたかったが、町職員に制止された。

 弁護士にも相談した。裁判を起こすよう提案されたが「そこまですることはない」と家族に止められた。

 町の認定基準は震災後1カ月以上の死を「関連死の可能性が低い」と定める。たとえ避難所暮らしで衰弱したとしても、その後に生活が落ち着いて病気を発症した場合などは、認められない可能性がある。

 <もともとハイリスク者であった>
 <震災の影響があったとしても老人ホームに入所しているから関連死の線は薄いのでは>
 河北新報社の請求で開示された審査委員会の議事録に、昭男さんが不認定となった理由が垣間見える。

 これまで町が不認定としたのは、申請があった38人のうち半数超の20人。震災との関連が認められず、11年の歳月がたとうとしている。トヨ子さんはなお歯がゆさを募らせる。

 「私は近くで見ていたから分かるけれど、それが役場には通じない」

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