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はがれた天井、折れ曲がった手すり… 津波の脅威物語る 仙台・震災遺構「荒浜小」

バーチャル震災遺構探訪(1)

災害の恐ろしさを後世に伝える震災遺構「荒浜小」=2月22日、仙台市若林区

 あの日、どれほどのがれきがたどり着いたのだろう。べろりとはがれた天井のクロス。折れ曲がったベランダの手すり、さび付いたキャビネットが、津波の脅威を物語る。

 仙台市青葉区の河北新報社から車で30分。同僚3人と若林区荒浜地区にある震災遺構「荒浜小」に向かった。

[震災遺構「荒浜小」(仙台市若林区)]2017年4月にオープン。震災当時、校舎には地上4・6メートルの津波が押し寄せ、児童71人を含む約320人が避難した。荒浜地区には震災前、約800世帯が住んでおり、約190人が犠牲になった。住所は若林区荒浜新堀端32の1。連絡先は022(355)8517。開館時間は午前9時半~午後4時(7、8月は午後5時まで)。市地下鉄東西線荒井駅から市営バスで約15分。

教室のベランダから見える荒浜地区の風景

 職員の高山智行さん(39)の案内で1階の教室と2階の廊下を通り、屋上へと移動する。屋上は東日本大震災当時、子どもたちが救助された場所だ。全員が引き上げられるまで約27時間かかったという。

 屋上は現在、フェンスに囲まれている。海は約700メートル先で、なんとなく見えるだけ。かつてあった松並木を超えて津波が襲ってきたかと思うと、背筋がぞわっとする気がした。

津波の猛威を物語る1階教室の天井

 高山さんは案内をしながら、地元住民の視点でも荒浜小を語ってくれた。「荒浜小は津波の脅威を自分ごととして考えてもらう場所。でも、地域の人にとっては、震災前から残る唯一の建物なんです」

 震災後、荒浜地区は災害危険区域に指定され、人が住むことができない。

 高山さんは隣接する笹屋敷地区出身。荒浜小出身の友人も多く、「夏は祭りや灯籠流しでにぎわっていた。思い出がたくさんある」と懐かしそうに振り返る。

メッセージが書かれた教室の黒板

 記者は2010年に仙台市に転居したが、震災前の荒浜へ足を運んだことはない。にぎわっていた頃を想像することしかできず、もどかしい思いがする。

 「震災で荒浜は『土色の街』になってしまったけれど、最近、少しずつ若い世代が入ってきている。新しい形で地域を大切にしてくれるのがうれしい」

 見学後、校舎近くの「避難の丘」に上った。周囲には真新しい観光施設や農業用ハウスが見えた。街の色が変わり始めているような気がした。

 (文横川琴実、写真藤井かをり、動画藤沢和久・江川史織)

震災遺構荒浜小で取材する横川記者

[よこかわ・ことみ]福島県西郷村出身。1992年生まれ。2014年に入社し、青森総局、本社報道部を経て、現在は盛岡総局記者。震災当時は東北大1年生だった。岩手赴任後はご当地ヨーグルトにはまっている。

バーチャル震災遺構探訪 震災遺構「荒浜小」(仙台市若林区)
360度動画 震災遺構「荒浜小」(仙台市若林区)

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震災報道若手記者PT

 東日本大震災の発生から13年。あの日を知らない若い世代が増える中で、命を守る教訓を伝え継ぐために何ができるのか。震災後に河北新報社に入社した記者たちが、読者や被災地の皆さんと一緒に考え、発信していきます。

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