東日本大震災のこと話していますか? SNSアンケート
東日本大震災発生から11年を迎えるのを前に、河北新報社は1月27日~2月15日、会員制交流サイト(SNS)の通信アプリLINE(ライン)で、アンケート「震災のこと 家族や友達と話していますか?」を実施した。当時のエピソードや、防災・減災のために心掛けていること、3月11日をどう過ごすか。寄せられたさまざまな声を紹介する。
■経験と記憶、次代へ
あの日、私は石巻市で震災に遭いました。両親やめい、親戚、友達、近所の知り合いと多くの人を亡くしました。私自身もあと少しで津波とがれきに押し流されるところを助けられました。現在は仙台で暮らし、孫の通う小学校で本の読み聞かせをしながら、震災の体験や命の大切さを伝える活動をしています。(仙台市泉区・主婦・山田和枝さん・58歳)
震災が起きた日の夜は中学生と高校生だった長男と長女、私の帰宅が深夜になったこと、停電していた家の中で子どもたちが技術家庭科の授業で作ったラジオを聴いていたこと、普段は当たり前の温かいお湯や食べ物のありがたさを痛感したことなどを話しています。11日は仕事ですが、発災の時間帯には静かに黙とうし、亡くなった方の冥福を祈ります。(仙台市青葉区・会社員男性・57歳)
長男は大学受験に向かう新幹線に乗車中、震災の地震に遭いました。トンネル内で停車し、夜中に別の車両で終点の駅まで運んでもらったそうです。翌朝、無事に試験会場に着いたものの、私たち家族の安否が確認できない不安から試験を辞退したと、後から聞きました。現在、長男は中学教師。生徒たちに当時の体験を伝えているそうです。(大崎市・主婦・杉原晶子さん・58歳)
あの日は当時暮らしていた仙台市で仕事をしていました。今は10歳になった娘がおなかの中にいると医者に言われて数日後のことで、妊娠2カ月でした。しばらくは食べ物もお風呂もままならなかったけれどつわりもなく、その後元気に生まれてきてくれたことはありがたかったと折に触れて娘に伝えています。今年は「ろうそくの明かりで夕ご飯を食べてみようか」と話しています。(茨城県・主婦・46歳)
震災を知らない子どもたちのために、当時のこと、今のこと、今後のことを演劇表現を通じて学ばせる授業に取り組んでいます。阪神大震災や東日本大震災そのものを「命」のメッセージとして生かし、道徳や総合的な学習の時間に考えてもらっています。(東京都・公務員・松本由隆さん・68歳)
■教訓を伝えたい
あっという間の10年。孫たちや友人、知人には震災前の航空写真を見せて現在との違いを伝えるとともに、津波時の避難場所はどこか、何を準備すればいいのかをチェックして毎月11日に振り返るよう促しています。地区には樹齢400年ともいわれるイチョウと小さな神社があり、今月11日は犠牲になった住民37人のご冥福と今後の安全、安心を祈ります。(岩沼市・自営業・斎市雄さん・69歳)
仙台市太白区長町で震災の地震に遭いました。混乱の中、市バスが開放されて車内に避難できました。寒さをしのぐことができ、車内灯の明かりで落ち着きました。本当に感謝です。災害時ほど助け合いが大切なのだと身をもって知りました。11日は仕事ですが、時間になったら黙とうします。(福島県国見町・会社員・鈴木亜希子さん・43歳)
震災時は小学1年の長女、入園直前の次女がいて長男を妊娠中でした。海沿いの親戚宅に行った夫は無事でしたが、親戚が亡くなりました。自宅は地盤沈下で全壊。布団や食料を引っ張り出し、車で1週間寝泊まりしました。備蓄が役立ち、ストーブで調理もできました。いざという時の行動を想定しておくこと、冷静に判断することの大切さ、防災グッズの準備などを毎年3月11日が近づくたびに子どもたちと話し合っています。(仙台市太白区・自営業女性・48歳)
宮古市田老地区出身の私は小さな頃から、過去の津波の被害と「地震が来たら津波が来る」ことを両親や祖父母から聞かされて育ちました。娘にも伝えていました。実家は津波で流失しましたが、両親と弟家族は助かりました。時間帯などさまざまなケースを想定した家族の集合場所、他県の親類の連絡先を決めておき、大きな地震のたびに「まずは『てんでんこ』だよ」と確認し合っています。(仙台市若林区・パート女性・61歳)
震災でライフラインが全て止まり、耐乏生活を強いられました。以来、必要品を備蓄し、車のガソリンも残りが半分になったら満タンにするようにしています。3月11日は三女の誕生日です。毎年、孫たちと誕生会を開き、震災を話題にしながら当時の体験を伝えています。(仙台市宮城野区・無職男性・75歳)
■忘れたい、忘れられない
高齢の父と車で避難中、津波に巻き込まれました。一気に2メートル近く浮き上がり、そのまま流されました。自宅近くの墓地を漂う中、家の墓の前で震災の前年に亡くなった母親に命乞いをしました。はっきり言って死を覚悟しました。間もなく車が逆さまになって止まり、鍵を回したら電源が入ったので後ろの窓を開けて車外に出ました。車のウイングにつかまって大声で叫び、約5時間後に助けられて避難所に行きました。ストーブが一つしかなく、交代で暖を取り一夜を明かしました。(石巻市・パート・遠藤孝一さん・62歳)
あの日は忘れたいです。家族や子どももみんなが思っています。津波に襲われた後の夜、地域は地獄でした。火災があり、陸に打ち上げられた船が爆発するので山に避難しました。震災の出来事を伝えたい人は確かにいます。だけど私は忘れたい。11日も別にやることはありません。普段通りに過ごします。(気仙沼市・パート男性・65歳)
今だから話せることがたくさんあります。一日中探した夫の父と再会して涙し、ハグをしました。語り部活動をしており、震災を知らない子どもたちに分かりやすいよう学年別に話す内容を変えています。11日は当時のルートをたどりながら避難した町中央公民館に行き、そこからわが家があった方向の海を見ます。(宮城県七ケ浜町・主婦・渡辺洋子さん・63歳)
高校1年、小学5年と小学1年だった子ども3人のうち、2人は関東で1人暮らしをしています。地震があった日は必ず連絡し、懐中電灯や水、食料などを備蓄しておくように言い続けています。大きい地震の時は落ち着いて行動してほしいと思います。11日はいつも通り、家族はそれぞれ仕事先や自宅で過ごしますが、やはり心がざわざわして落ち着かない一日です。(仙台市青葉区・パート・佐藤裕子さん・53歳)
あの日を忘れないため、3月11日は必ず子どもと区役所に献花に行っています。子どもは当時2歳で、当時のことはほとんど覚えていません。私も鮮明だった記憶が薄れつつありますが、絶対に忘れてはいけない、子や孫、その先の世代に語り続けていかなければいけないと思います。11日は大切な命と向き合い、震災について子どもと語り合う日と決めています。(仙台市泉区・パート女性・45歳)
※年齢は11日時点
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