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「自分ごと」痛み分かち合う覚悟を 福島第1原発の処理水放出(12)

汚染水を浄化処理する増設多核種除去設備の建屋内部。立ち入りの際は全面マスクと防護服を着用した=2月21日、福島第1原発

 晴天。海は穏やかだ。

 太平洋を臨む港湾沿いの岸壁に立つ。海抜10メートルの高台にそびえる東京電力福島第1原発の事故炉を見上げた。150メートルほど先、原子炉建屋手前の白い壁面に水の痕跡の線が見えた。

 11年前の3月11日、第1原発を高さ15メートルの津波が襲った。全6機のうち運転中だった1~3号機が炉心溶融を起こし、大量の放射性物質がまき散らされた。

 

 岸壁近くで、防潮堤のかさ上げ工事が進んでいた。日本海溝沿いで発生が予想される地震津波に備え、1年後には最大16メートルの堤防が完成する。事故前に整備していたのならと思い、やるせない気持ちになった。

 記者は昨年4月に福島市に赴任し、原発事故の取材を担当している。第1原発に入るのは赴任以来7回目。代わり映えしない現状を目に焼き付けている。

 政府と東電の中長期ロードマップは、廃炉の完了目標を今から「30~40年後」としている。40年後に記者は70歳を超えている。

 記者には、まだ小さい子どもがいる。廃炉作業は世代をまたぐ。子どもが大きくなった時、事故の教訓を何と伝えればいいのだろうかと、よく考える。正直、いつも分からなくなる。

 福島原発事故は、安全神話に拘泥し、自然の猛威を侮ったがゆえの「人災」だった。多様な意見や警鐘を聞き入れない政府と東電の対話の未熟さが招いた事故とも言えそうだ。

 ただ、胸にすとんと落ちないものがある。第1原発で作られた電気は全て首都圏に送られ、日本の経済成長を支えた。多かれ少なかれ原発の恩恵を受けてきた社会にとっての教訓とは、一体何なのか。

 

 広さ約4900平方メートルの窓のない建屋に、巨大な吸着塔が整然と並ぶ。多核種除去設備(ALPS)の建屋。溶け落ちた核燃料(デブリ)に触れた汚染水から放射性物質をこし取る設備だ。取材した増設ALPSは1日最大250トンの汚染水を「処理水」にする。

 同行した東電の担当者は「設備の性能は必要十分。ほとんどの核種が検出されなくなる」と自信を見せたが、受け止め方はさまざまだろう。

 処理水は放射性物質トリチウムを大量に含む。技術的に除去が難しい。よほどの高濃度で直接摂取しない限り人体に影響はないとされるが、安全性を不安視する人は少なくない。

 政府は昨年4月、来年春をめどに処理水を海洋放出する方針を決めた。林立する保管タンクで構内の敷地が逼迫(ひっぱく)し、廃炉作業の妨げになるからだという。漁業者を中心に風評被害を懸念する声が相次ぐ。

 デブリの取り出しや汚染廃棄物の処分問題など、処理水の他にも課題は山積する。福島の復興は、危険と隣り合わせの廃炉作業と折り合い続けなければならない。いつ深刻な風評が再燃するかも分からない。

 原発の立地地域ばかりが恩恵の代償を背負い続ける現状がある。この理不尽さを、子どもにどう説明できるだろう。よく「原発事故を自分ごとに」とは言うが、痛みを分かち合う覚悟が要る。社会が教訓を得るまでの道のりは平たんではない気がしている。
(福島総局・横山勲)

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