センバツ出場の一迫商野球部が廃部 部員減の流れ止まらず

 2005年の選抜高校野球大会に21世紀枠で出場し、春夏を通じて初の甲子園で1勝した一迫商(宮城県栗原市)野球部が、部員不足のため廃部になった。宮城県立校普通科の学区改編の影響もあって部員数が年々減少し、ここ5年は5人以下の状態が続いていた。

甲子園初出場で初勝利を飾り、喜ぶ一迫商ナイン=2005年3月25日

熊谷元監督「支えに感謝」

 一迫商野球部は同校が創立された1973年に発足した。2003~05年は秋の県大会で3年連続準優勝し、東北大会に進出。05年春の選抜大会に21世紀枠で出場し、1回戦で04年夏の全国8強だった修徳(東京)を5―2で破った。

 一時は50人以上の部員がいたが、10年度の県立校普通科の全県1学区導入で市外に進学する地元中学生が増えたことなどから部員が減少。18年以降は近隣校との連合チームで各大会に参加し、20年夏に最後の部員2人が引退した。部員不在の状態が1年続き、昨年12月に廃部が決まった。

 猛練習でチームを強化し、甲子園に導いた元監督の熊谷貞男さん(67)が16年3月で退職したことも部員減につながった。退職後、外部コーチとして部を支えた熊谷さんは「そうなる流れだった。しょうがない」と冷静に受け止める。選抜大会出場を振り返り「一迫の人たちに支えてもらい、『生きてきて一番の思い出になった』と言ってもらった。ありがたいことだった」と語る。

選抜大会の出場記念誌を手に当時を振り返る熊谷さん

 廃部まで部長を10年務めた佐藤将傑(まさひで)教諭(51)は「ずっと携わってきた者として何とかしたかった」と肩を落とす。

 同校は本年度から部活動の枠組みを改め、最大三つの部の掛け持ちを可能とした。新たに部を設ける過程も簡略化し、部員数に関わらず顧問が付けば可能になった。

 塩釜、名取の2校で監督経験がある佐藤教諭は「野球部の復活はそれほど難しくない。部の歴史や伝統はあまり考えず、野球が好きな子に来てもらいたい」と再興に意欲を示している。

 日本高野連の統計を08年度と21年度で比較すると、加盟校は全国で4163校から3890校に、宮城県で82校から73校に減少。1校当たりの平均部員数も全国で40・7人から34・5人に、宮城で37・5人から31・4人に減っている。

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