廃業した村の老舗豆腐店を復活させたのは移住者だった。岩手県普代村の鬼束拓哉さん(40)は、地域おこし協力隊員から豆腐店主に転身した。東京暮らしが長かったが、東日本大震災を契機に岩手へ。豆腐作りの技術習得に励み、店の伝統をつないだ。高齢化が進む村に思いを寄せ奮闘する。(宮古支局・中島剛)
鬼束さんの豆腐作りは夜明け前に始まる。まず湯を沸かし道具を消毒。みずみずしい豆腐が出来上がった午前6時ごろ、先代の上下(かみした)静子さん(78)がつえをついて現れた。
「鬼ちゃんには感謝しかない。周りの人も喜んでいる」と笑い、焼き豆腐作りを手伝う。
鬼束さんは2015年1月、古里の宮崎市から村に移住した。きっかけは震災。システムエンジニアとして働いていた東京で被災して帰宅難民となり、物不足や計画停電を経験した。
「本当に切羽詰まった時はお金が役に立たない。畑作りに興味を持った」。震災翌年に宮崎へUターン。システム開発の会社を設立する一方、1次産業に関われる場所を北日本に探した。たまたま普代村が協力隊員を募集していた。
協力隊では村のホームページ制作などを担当。3年の任期終了を控えた17年秋、村中心部にある豆腐店が閉まる話を聞いた。
店主の上下さんは、膝の痛みなどで切り盛りできなくなった。店は嫁ぎ先で継いだのが1966年。地域に根付いた店だった。
村に残る道を模索していた鬼束さん。「あんなにおいしい豆腐が消えるのはもったいない」と18年春に上下さんに後継ぎを申し出た。「本気だと思ってもらえなかったのだろう。最初は断られた」。約半年後に再訪し思いを語った。今度はうなずいてくれた。
3週間の指導を受け10月末に「上下豆腐店2.0」を開店。年末は正月用の注文が増えたが、豆腐の形をそろえられず、お客に迷惑をかけた。未熟さを痛感し、営業を週1回にして貯金を切り崩し研究を重ねた。八幡平市の有名豆腐店に教えを請い、現地にも通った。
何とか自信がついた20年7月、店名を「TOFokU(とうふぉく)」に変え本格営業を再開。「豆腐と東北を掛けた。肯定的な存在であり続けようとTOFUの中にokを忍ばせた」。大豆は東北産、にがりは三陸産を使う。
週に1度の訪問販売も始め、村内を一軒一軒回る。評判が広がり久慈市の商業施設で販売が始まった。村を回って実感したのは深刻な高齢化。他の商店に呼びかけ、4月に買い物代行サービスを始めた。豆腐の宅配とともに商品を届ける。
「目指した1次産業ではないが、多くの人と関われて良かった」と鬼束さん。「雇用を増やし豆腐で普代を活気づけたい」と新商品の構想を温める。
豆腐は木綿250円、焼き100円。連絡先はinfo@tofoku.com
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