ゼロからの古川駅前づくり 元商店街理事長、東北新幹線開業当時を回顧

 東北新幹線大宮-盛岡間の開業から23日で40年たった。JR古川駅(宮城県大崎市)周辺開発に伴う区画整理で発足した古川駅前商店街振興組合の理事長だった後藤孝幸さん(91)は「こんなにうれしいことはなかった」と開業当時を振り返る。

40年前の新幹線開業当時を振り返る後藤さん

 「昔の人は蒸気機関車の煙が嫌だと東北本線を小牛田(美里町)に譲ったが、間違いだった。新幹線は古川にとって一大事業。来るか来ないかで全然違う」

 1980~87年、10・4ヘクタールに及んだ大規模区画整理に地元は割れた。特に記憶に残るのは84年のニチイ古川店(後の古川サティ)誘致を巡る論争。「反対する商工会議所会頭に対抗馬を立て、2票差で勝った。憎まれたが古川のプラスになると思って実現した」。古川経済界でわが道を突き進んだ壮年期を語る。

 区画整理の完工誌に「人体に血を通し、神経を張り巡らすソフトの大きな仕事が残されている」と記した後藤さん。神社創立やさまざまな催しで先頭に立った。新たな街をゼロからつくり上げる一心だった。

 しかし、2001年にサティが撤退。皮肉にも核店舗の存在が前提となった商店街に、空洞化にあらがう力は残っていなかった。

 「残念。新幹線駅を起爆剤に一気に開発する夢は、理想通りにならなかった。古川全体がまとまれなかった」と惜しむ。

 郷土の未来は後進に託す。「時代も変わった。自分も年には勝てない。若い力で開発してくれたらいい」

 ガソリンスタンド経営などで築いた私財を投じた遊園地、化女沼レジャーランド(大崎市古川)は、くしくもサティと同じ01年に閉園した。卒寿を過ぎ、介護施設で暮らす。「化女沼を県立公園にする夢を今も持っている」。そう語り、目を輝かせた。

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