ドイツで暮らし始めてから、私の舌は柘榴(ざくろ)に執着するようになった。日に褪(あ)せたような古びた赤い厚い皮にナイフを入れると、黒ずんだ赤い透明な粒が見えてくる。びっしりと詰まったそれをこそげ落としてゆくうちに、白い皿に重なる赤の断片は冴(さ)えたコントラストを見せる。皮を剥(む)く度に、指の腹は渋で薄黒く染まるが、それでも紅の蒐集(しゅうしゅう)に夢中になってしまう。時には、果実まるごとではなく、透明なブラスチック容器入りの柘榴の粒をスーパーで買うこともある。それは、子供の頃憧れの眼差(まなざ)しを向けた、小さな瓶に詰まった鮮やかな紅のビーズを思い起こさせた。
日本で口にする機会のなかった柘榴は、私にとって果実というよりは寓意(ぐうい)的な美術モチーフという印象が強かった。キリスト教の絵画では、15世紀イタリアの画家ボッティチェリの『ザクロの聖母』をはじめとして、柘榴を手にする聖母子像がよく見られる。そこで赤い果実は、やがてキリストに訪れる受難と復活を表しているとのことだ。
柘榴と言えば私がまず思い出すのは、ボッティチェリの師であったフィリッポ・リッピの『聖母子と聖アンナの生涯』である。聖母誕生を巡る過去の一場面を背にして、聖母子が甘やかでもの憂げな様子で描かれていた。半分に割った柘榴は2人の手で支えられ、そこから幼いキリストの小さな指が赤い粒をつまんでいる。二つの時間と2組の母子の物語が一緒にある絵の中、苦難という象徴を忘れてしまうほど、幼子の無邪気さと聖母の憂鬱(ゆううつ)そうな眼差しが柘榴と共に美しく浮かび上がっていた。
柘榴を好んで口にするうちに、目もまたその果実の印象を彷彿(ほうふつ)とさせるものを見つけ出すようになった。それは、模様であったり色彩であったり、時には建築物の構造に重ねられることもある。味覚ばかりではなく、視覚的な執着も出てきたらしかった。
しかし、コロナ禍が始まると、別の形で柘榴の印象と出会うことになった。ドイツの新聞Zeit(ツァイト)のウェブサイトで、全国地図が表示され、街ごとに赤い円で感染の規模を表すようになった。白、灰色、薄い黄色、橙(だいだい)、赤、紅と赤みが深まるにつれて、感染の規模は大きくなり、最も感染者が増えている場所は黒ずんだ赤に染められる。
街にカーソルを当ててクリックすれば、すぐに現時点でのデータとこれまでの数値の推移を示すグラフが現れる仕組みだった。大都市を覆う重たい赤から赤へと移動する度に、頭の中をかつて訪れた街の名前が通り過ぎる。やがて時間の経過とともに、小さな町まで赤の斑点に覆われていった。街や行政区ごとに細かく区切られた赤の断片は、柘榴の粒がびっしり集まっているとも目に映る。
この2年半の間、赤のモザイクは、色褪せて灰色になったかと思えば、急に熟したように赤みを強めることを繰り返してきた。移動制限のあった期間、私は赤の粒に覆われた場所をクリックし、赤に飲み込まれた街の名前と出会うようになった。しかし、大半は耳に慣れない、目にも新しい見知らぬ場所である。旅をして、足を運んで作り上げてゆく印象の代わりに、街の名前は赤の濃淡と共に記憶されてしまう。今は移動が自由になってきているものの、熟れた柘榴の地図がまだしつこく私の目の中に留まり続けている。
(仙台市出身、ドイツ在住)
仙台市出身の芥川賞作家石沢麻依さんが、留学先のドイツでつづるエッセーを月1回掲載します。
次回の紙面掲載は7月26日です。
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