「空気」をまつる? 世界に一つの「空気神社」とは 山形・朝日

ステンレス製の鏡板が置かれている空気神社=6月19日午後2時15分ごろ、山形県朝日町白倉

 世界でも類を見ない一風変わった空間が、山形県朝日町の丘の上にある。空気をまつった場所として名高い「空気神社」だ。なぜ空気をまつるのか。なぜ朝日連峰の麓に建ったのか。建立30年超にして初めてのライトアップが実施されている今年、創建に携わった人々の思いに触れようと町を歩いた。(山形総局・小田島悠介)

ステンレス鏡板5枚、整然と

 訪れた人は誰しも、鏡の中をのぞき込む。鏡面は天を向き、周囲のブナやナラ、刻々と移ろう空模様を映す。幅1メートル、長さ5メートルのステンレス鏡板が5枚並んだ場所を、人々は「神社」と呼ぶ。

 「鳥居もなく、本殿も見えない。案内すると、今でもびっくりされます」

 町内に住む西沢信雄さん(73)は言う。神社の建立で中心的な役割を果たした団体「空気神社建立奉賛会」の元理事。地元住民ら10~20人が務めた当時の理事のうち、現在も存命なのは西沢さんだけになった。

ブナ林のおいしい空気に感謝

 神社は1990年に完成した。建立の経緯や秘話は、西沢さんが95年に著した書籍「空気ものがたり 山形朝日町『空気神社』を創った男たち」(現在は絶版)に記されている。「神社は建ったが、すぐに存在が忘れ去られるのではないかと思った」と執筆の理由を語る。

 地元で農業を営んだ故白川千代雄さんのアイデアが原点になった。「ブナ林で働いていると疲れが少ない。これは空気がおいしいからだ。空気神社をつくって感謝しよう」。書籍には、70年代前半から建立の構想を持っていたという白川さんの熱い思いが残る。

 白川さんの案は当初、周囲から一笑に付されたという。それでも80年代半ば、町による観光施設「Asahi自然観」の建設が始まると、誘客のため「他にないものをつくらなければ」との思いが関係者の間で広がった。白川さんの発言を覚えていた当時の教育長が「空気神社」の構想を提案。再び話題に上ることとなった。

 次第に現実味を帯び、地元建設会社社長だった故菅井敏夫さんらが87年、寄付金を集めようと奉賛会を設立。建立に向け、本格的に動き出した。場所は自然観付近の山林。町民の力で募った寄付は神社の建設中も増え続け、最終的に約4500万円に達した。

 西沢さんは当時の活動について「うさんくさいと思った人もいただろう。今では、きっと実現しない。あの時、造っておいて良かった」と振り返る。

地下に設けられた本殿(朝日町総合産業課提供)

「環境問題のシンポル」で脚光

 地上からステンレスの鏡板だけが見える唯一無二のデザインは、コンペで決まった。地下を本殿とし、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る12個のかめを置くユニークな案が89年に発表されると、関係者は一様に驚いた。世間で関心が高まりつつあった環境問題のシンボルの一つとして、注目されるようになった。

 当時の環境庁長官も出席した90年秋の完成式で、宗教法人格を持たない「神社」が、ついにお目見えした。以降、町の主要観光スポットとして、多くの人が足を運ぶ。

 政教分離に配慮して一連の経過を見守った町も、完成を喜んだ。6月5日の「世界環境デー」を「空気の日」とする条例を92年に制定。毎年6月初旬には官民共同の実行委員会が「空気まつり」を開き、本殿の限定公開や、みこによる舞の披露を現在も続けている。

 完成から30年余り。神社を巡る環境も大きく変わった。存命の奉賛会関係者が少なくなったため、昨年7月から町の所有となり、町観光協会が維持管理に当たる。

 「実際に足を運び、現場の空気感や、四季それぞれの美しさを肌で感じてくれたら、うれしい」と西沢さんは言う。「町民がお金を集めて造ったことも合わせ、次の世代に伝わっていくといい」。神社の歩みを知る一人として、そう願っている。

ライトアップが実施されている空気神社=6月4日午後7時20分ごろ、山形県朝日町白倉

初のライトアップ、2日には催しも

 現地では今年6月、初のライトアップ企画が始まった。ライト約130基が毎日午後7~9時、周囲の木々を彩り、幻想的な空間を演出している。8月31日まで。7月2日午後6時から、「スペシャルデー」として出店が並んだり、短冊が設置されたりする。

 連絡先は町観光協会0237(67)2134。

ライトアップが実施されている空気神社=6月18日午後7時30分ごろ、山形県朝日町白倉
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