仙台の待ち合わせは「仙台駅ステンドグラス前」で 藤崎との「深い縁」とは?
仙台で定番の待ち合わせ場所といえば、JR仙台駅2階のステンドグラス前が真っ先に思い浮かびます。最近、老舗百貨店の藤崎(仙台市)がステンドグラスとの深い縁を公式ツイッターでつぶやいたところ、「知らなかった」など大きな反響を呼び、改めて注目を集めています。かつてステンドグラスのそばにあった仙台藩祖伊達政宗の騎馬像は、3代目が駅構内の別の場所で復活を遂げています。(編集局コンテンツセンター・小沢一成)
設置は新幹線開業目前、新しいシンボルに
「実は1978(昭和53)年に、藤崎創業160周年記念として仙台駅に寄贈したものです」。藤崎が5月22日、仙台駅のステンドグラスにまつわるエピソードを公式ツイッターに投稿すると、「藤崎の寄贈だったとは、知らなんだ」「仙台恋しくなった」「『ステンドグラス前ねー』とよく待ち合わせしたものです。懐かしい」などと大きな反響を呼んだ。閲覧数は7万件に達した。
仙台市で新たな生活を送り始めた「新仙台人」にこの街の豆知識や雑学をお届けするのが、当シリーズ「仙台読本」。藤崎公式ツイッターに負けじと、仙台駅のステンドグラスについて調べてみたので、ご紹介したい。
仙台駅2階コンコースの壁面に、床から天井までいっぱいに使ったステンドグラスがお目見えしたのは1978年6月8日。当日の河北新報夕刊は「旧駅舎時代に親しまれた大時計に代わる新しい名物」と伝えている。東北新幹線開業(82年)を目前に控えた仙台駅のシンボルと言える存在で、ステンドグラスの設置は東京駅、新橋駅に次いで3番目だった。
大きさは縦7・2メートル、横4メートルで、デザインは仙台名物の七夕飾りを中央に配置し、伊達政宗の騎馬姿、日本三景松島にある国重要文化財「五大堂」をモチーフにした。原画は山形県新庄市出身で東北の風俗や信仰などを数多く描き、2007年に92歳で亡くなった洋画家の近岡善次郎さんが制作。東京芸大講師ルイ・フランセンさんが監修した。
制作費は約5000万円。企画した日本交通文化協会(東京)が藤崎に協賛を打診したところ、先代(6代目)の藤﨑三郎助社長が快諾。創業160年記念事業の一環として寄贈を決めた。
実は題名あります
ところで、このステンドグラスには題名が付いているのだが、ご存じだろうか。藤崎が1978年6月9日の河北新報夕刊に広告を出し、大々的に一般募集した結果、「杜の讃歌(さんか)」に決まった。審査員には仙台市長や仙台商工会議所会頭らに交じって、仙台一高OBで作家・劇作家の故井上ひさしさん(山形県川西町出身)も名を連ねた。
かつては騎馬像もありました
87年1月にはNHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の放送に合わせ、伊達政宗の初代騎馬像がステンドグラス近くに設置された。89年8月から2008年3月までは2代目騎馬像が置かれ、ステンドグラスとともに杜の都の玄関口で市民や観光客らを出迎えるモニュメントとして親しまれた。
08年の大型観光宣伝「仙台・宮城デスティネーションキャンペーン(DC)」に向けた仙台駅改修に伴い、2代目騎馬像は大崎市岩出山のJR陸羽東線有備館駅前に移設され、ステンドグラスは発光ダイオード(LED)を組み込む形でリニューアルされた。
ステンドグラス前? 騎馬像前?
藤崎は現在宮城県柴田町にある初代騎馬像、有備館駅前にある2代目騎馬像の写真をツイッターに掲載。河北新報に出したステンドグラス題名募集の広告も公開した。担当者は「駅を降りて最初に目に入るステンドグラスには、百貨店らしく、『いらっしゃいませ』というおもてなしの気持ちが込められている」と話す。
長らくステンドグラスと共に親しまれてきた伊達政宗の騎馬像は20年6月、3代目がステンドグラス前でなく、仙台駅3階の飲食店街で復活を遂げた。かつて「ステンドグラス前」と「騎馬像前」はほぼ同じ意味だったが、今は違う場所を指すので、迷子にならないようご注意を。
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