(323)涼風を吹き分ちをる柱かな/大峯あきら(1929~2018年)
「吹き分かつ」という措辞が、柱の大きさを物語っている。今、柱の多くは壁に埋め込まれてしまっているから、イメージされるのは、お寺の本堂か、神社の本殿か、広く開放しているような建物。作者は僧侶であったか…
関連リンク
- ・(322)夜濯(すすぎ)に道着の藍の匂ひけり/浅川 芳直(1992年~)
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- ・(319)汗拭くをゴリラに恥じてまた拭う/寺井 谷子(1944年~)
- ・(318)炎天の手首は影を持ち歩く/あざ蓉子(1947年~)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。