教訓を伝えるため、ゲームの可能性に懸ける<震災を編む 表現する若者たち(1)>
20歳を過ぎた若者たちが東日本大震災をテーマにした表現活動に挑み始めた。幼くて言葉にできなかった当時の記憶や感情。あの日から11年半、震災と向き合い、時に悩みながら大人になり、自分なりの伝え方にたどり着いた。それぞれの作品に込めた思いを見つめた。(4回続き)
宮城・気仙沼→東京 畠山瑛護さん(20)
<こら~っ おだづなよ 頂上まで逃げろど教わんねがったのが>
地震が来たら津波に備えて高台へ急がないと、お年寄りに浜言葉で怒られる。
パソコンなどで遊べるロールプレーイングゲーム「気仙沼クエスト3・11エディション」。宮城県気仙沼市出身で日本大芸術学部2年の畠山瑛護さん(20)=東京都=が2月に制作した。
主人公は市の観光キャラクター「ホヤぼーや」。舞台は2011年7月の仮設住宅団地。仲間と遊んだ記憶をたどり、当時の雰囲気を再現した。住民のセリフは、震災の余震が続く中で、大人から注意された経験を基にした。
団地で鬼ごっこをする子どもに話しかけ、友達を100人集めれば目標達成。怒られるとゼロになる。
「クリアする頃には、プレーヤーの中に自然と『津波てんでんこ』がインストールされているはず」
昔のソフトが心の隙間埋める
震災時は気仙沼市松岩小2年で学校にいた。家族は無事だったが、津波で自宅を流された。
まだ8歳。「被災した」事実はピンとこなかった。真っ先に感じたのはゲーム機を失った悲しみ。代わりに一昔前の中古品を買ってもらうと、心の隙間を埋めるように、生まれる前に流行したソフトに没頭した。小学校高学年からはパソコンゲームの自作を始めた。
気仙沼高1年の時、初代の気仙沼クエストを作った。市民との交流や買い物を疑似体験する内容で、生まれ変わった街の姿を発信した。被災したことを題材にするのは「今更古い」と思ったし、暗いゲームになるのも嫌だった。
考えが変わったのは、昨春、進学を機に東京に住み始めてから。自宅近くの街角で胸が締め付けられた。
路地裏でサッカーをする少年、自転車で下校する男子高生-。何げない青春を前にし、常に震災がつきまとう学校生活を送ってきた自分が異質で、惨めに思えた。失われた時間の尊さに気付き、同じ悲劇が繰り返されれば、古里が浮かばれないと感じた。
「面倒くささ」がテーマ
新たなゲーム制作のヒントを探しに、気仙沼の伝承施設を訪ねた。あの日、避難するべきだと頭では分かっていても、行動しなかった人たちがいたことが心に引っかかった。
作中では、プレーヤーが友達を集めていると、短い間隔で揺れに襲われる。仮設団地から遠くにある安波山まで何度も往復させられる上、ダッシュし続ければ「息切れ」で足止めを食らう。逃げなくても怒られないパターンもあり、どんどん避難がおっくうになる。
「その『面倒くささ』がテーマなんです」。畠山さんは熱っぽく語る。ジレンマと向き合い、それでも逃げるべきだと感じとってほしい。そんな願いがある。
自然災害に「攻略法」はない。だからこそ、教訓を伝えるゲームの可能性に懸ける。「体験を通じ、楽しんで学んだことほど自分のものにできるはずだから」
(報道部・柴崎吉敬)
この連載は、震災報道や記憶の継承を考える河北新報社のプロジェクトの一環として、震災後に入社した若手記者が担当します。
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東日本大震災の発生から13年。あの日を知らない若い世代が増える中で、命を守る教訓を伝え継ぐために何ができるのか。震災後に河北新報社に入社した記者たちが、読者や被災地の皆さんと一緒に考え、発信していきます。