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物語を紡いで、少しずつ前に進む<震災を編む 表現する若者たち(3)>

 20歳を過ぎた若者たちが東日本大震災をテーマにした表現活動に挑み始めた。幼くて言葉にできなかった当時の記憶や感情。あの日から11年半、震災と向き合い、時に悩みながら大人になり、自分なりの伝え方にたどり着いた。それぞれの作品に込めた思いを見つめた。(4回続き)

福島市 大久保蓮さん(23)

日没後のJR福島駅近くの繁華街にたたずむ大久保さん=1日、福島市

 物語を紡ぎ上げると、心のよどみが少し取れた。

 今年の3月11日、福島市のJR福島駅前。福島学院大4年の大久保蓮さん(23)は、祈りをささげる人の輪に初めて加わった。

 昨秋、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故を題材にした短編小説「夜を失う」を完成させた。あれから10年後を生きる若者の心模様を描き、第5回仙台短編文学賞で学生対象の東北学院大学賞を取った。

 小説の主人公は福島出身の「僕」。夜空が裂けてしまう不思議な夢を頻繁に見る。進学先の東京から帰省し、友人たちとの再会を通じて心の奥深くにある傷の存在にようやく気付く-。

 震災当時は同市福島三小の5年生。記憶はおぼろげだ。

 原発事故の後、校庭での外遊びが禁止になった。登下校時はマスクを着け、首から線量計をぶら下げた。放射能のことはよく分からなかった。浜通り地方から避難してきたり、県外に避難したりする同級生もいたが、その理由が話題に上ることはなかった。

 通常じゃない日々は、いつしか当たり前になった。「震災の残響のようなものと共に成長した」と顧みる。

不安に駆られる

 災害の恐ろしさを肌で感じたのは昨年2月13日だ。

 眠りに就く直前、突き上げるような地震に見舞われた。本棚が倒れて危険を感じ、家から飛び出した。震源は福島県沖。東北の太平洋側では2011年4月以来、約10年ぶりに最大震度6強を記録した。

 余震にも身構えた。大型トラックが通った揺れで汗が吹きだした。常に地震情報を確認していないと落ち着かなくなった。「平穏な大学生活が失われたらどうしよう」。そんな不安に駆られた。

 3月に入り、テレビや新聞では震災10年の節目に向けた報道が目立った。「風化させてはいけない」「復興はまだまだこれから」。大切な人や古里を失いながらも、前を向く被災地の人々がまぶしく見えた。

 「何かしなきゃ」。気持ちが高ぶり、文学賞への応募を決めた。物語を書くことは元々好きだった。応募条件はただ一つ「東北にゆかりのあるもの」。迷わず震災を選んだ。

雑誌「震災学」に収録された大久保さんの小説「夜を失う」

無意識のおびえ

 <私たちはまだ子供だった。震災という大きな不条理を、日常が壊されるという恐怖をきちんと感じられなかった>
 小説の終盤、同級生が言うと、主人公の僕は夢の正体が無意識のおびえだったと悟る。

 「震災で、自分も心に傷を負っていたのかもしれない」。物語を書くことでそう思えた。執筆を続ければ、少しずつ気持ちが整理されていく気がしている。

 新たな夢もできた。「自分のように悩んだ人の力になりたい」。来春、大学院に進んで心理学を学ぶ。公認心理師の資格を取り、臨床の現場で人の心に寄り添いたい。

 「突然、日常が奪われるかもしれない」。怖さが完全になくなったわけじゃない。でも夜が明ければ朝が来る。今はそう思える。
(福島総局・吉田千夏)

 この連載は、震災報道や記憶の継承を考える河北新報社のプロジェクトの一環として、震災後に入社した若手記者が担当します。

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 東日本大震災の発生から11年。あの日を知らない若い世代が増える中で、命を守る教訓を伝え継ぐために何ができるのか。震災後に河北新報社に入社した記者たちが、読者や被災地の皆さんと一緒に考え、発信していきます。

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