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ベガルタJ2戦記(10)完 一番長い秋(下)-思わぬ結末

 ベガルタ仙台は今季、J2から再出発した。抜け出すことの難しさから「沼」とも称されるこのリーグは、前回はい上がるまで6シーズンを要した。特に苦しい戦いが続いたのが降格1、2年目。当時の番記者として、戦力や経営面から苦闘ぶりを振り返ってみる。縁起でもないと感じる向きもあるかもしれないが、あえてここは英国の政治家チャーチルの言葉を引こう。
「歴史から教訓を学ばぬ者は、過ちを繰り返す」

この稿は一番長い秋(上)-ベルデニック・ゼミから続きます

 2004年シーズンは10月初旬の福岡戦以降、フロントとベルデニック監督の確執が決定的なものとなり、解任に向けた流れが既成事実化していった。焦点は後任が誰になるか。関係者の話を集めて回ると、意外な人物が浮上してきた。

 都並敏史氏。Jリーグ草創期のスター選手の一人。Jバブルとも言われた時代に最も人気があった東京V主力。日本リーグの頃から代表の中心選手でもあり、熱いプレースタイルから炎の左サイドバックとも呼ばれた。

疑念は確信へ

 現役時代の実績は申し分ない。ただ、当時の指導経験は育成世代のみでJクラブはない。スロベニアA代表を率いたこともあるベルデニック氏との差は歴然としていた。

 まさか、という思いで探りを入れていくに連れ、疑念が確信へと変わっていった。GMの田中孝司氏は日本代表のチームメート。「実績うんぬんよりも、息が合うことの方が重要なんだよ」。そう話す幹部の話には説得力があった。

 「GKコーチには東京Vの盟友・藤川孝幸氏を呼ぶらしい」「ヘッドコーチも東京V関係者で固まったらしい」。外堀はどんどん埋まっていく。11月中旬には書けるだけの材料がそろった。あとはタイミング。一つだけ気がかりがあった。

 その週は東…

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