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新潟地震死者数の食い違い 秋田、宮城でも確認 調査報告より各1人多く 省庁の認定基準差原因か

 1964年6月16日の新潟地震の県内の死者数が各機関の資料で異なっていることについて、新潟日報の「もっとあなたに特別報道班」(もあ特)で2回にわたり取り上げた。さらに「もあ特」で調べたところ、同様の数字の「ずれ」が他県の関係機関の調査でも確認された。

 新潟県などの資料によると、新潟地震の県内の死者は新潟市11人、柏崎市2人、紫雲寺町(現新発田市)1人の計14人。一方、国立研究開発法人「防災科学技術研究所」(NIED、茨城県つくば市)の公開データなどでは、紫雲寺町がゼロで、死者数は13人となっている。

 NIEDなどの資料は、新潟地震翌年の65年に気象庁がまとめた「新潟地震調査報告」に基づく。NIEDによると、当時は地震などの被害認定の基準が消防庁や警察庁、厚生省(当時)で異なっていたことが数字の「ずれ」の背景にあるとみられる。基準は68年に国の通知で統一された。

 もあ特では、6月14日付と8月23日付の朝刊で、数字の「ずれ」や地震直後の情報の錯綜(さくそう)ぶりを伝えた。

 もあ特では、新潟地震の最大震度だった震度5(当時)を本県以外で観測した山形、宮城、福島の各県と、最大震度4で死者が出た秋田県、隠岐諸島で津波によるとみられる水田被害があった島根県に取材した。その結果、山形県で9人、秋田県で5人、宮城県で1人の計15人が死亡したと記録していることが分かった。

 新潟地震調査報告では、本県以外での死者は山形県で9人、秋田県で4人の計13人。ここでも資料によって数字にずれが生じている。新潟地震全体の死者数は、新潟地震調査報告が26人、各県の記録では29人となる=地図参照=。

 秋田県の記録には、秋田県では仁賀保町(現にかほ市)で2人、秋田市、男鹿市、西目村(現由利本荘市)で各1人が死亡したとある。しかし、新潟地震調査報告では西目村の死者はゼロ。秋田大学地域防災減災総合研究センター(秋田市)によると、西目村の80代女性が地震3日後の6月19日に死亡した。「この女性を地震の死者数に含めるかどうかで判断が分かれる」(担当者)という。新潟地震調査報告では死者がいなかった宮城県の担当者は「古い統計なので、詳細は分からない」と話した。

 一方、山形県の死者数は新潟地震調査報告と合致している。

 災害の詳細な記録は、将来の災害の際に教訓を生かして被害を防ぐため欠かせない資料となる。60年近く前の新潟地震の場合、詳細な状況をさかのぼって再調査するのは難しい。災害の正確な統計データはもちろん、災害の教訓をどのように伝えるのか目的を明確にし、地域住民の防災意識の向上や実際の行動につなげることも欠かせない。(新潟日報・黒島亮)

信州大・内山特任助教に聞く データ活用自分ごとに

 災害の統計データの活用について、災害伝承やアーカイブなどに詳しく2019年の台風被害のデジタルアーカイブ構築にも携わっている信州大学教育学部の内山琴絵特任助教に聞いた。

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 災害の正確なデータを関係機関が共有し、伝えることは大変重要なことだ。ただ、データがそろっていても、地域住民が「いかに自分ごととしてデータを活用するか」という点をはっきりとさせなければ、防災意識の向上や実際の行動へ結びつけることはできない。

 災害を伝えて残す取り組みで重要なのは(1)災害発生から復旧、復興に至る時間経過の中で変わる地域の姿、人々の姿を残す(2)それがいつ、どこで起きたのかを明確にする(3)誰に、何を、どのように伝えるのかという目的を明確にする-の三つだ。

 災害の伝承を進める上で正確なデータを残すことは当然だが、こうした点を意識して仕組みを作ることが必要だ。

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