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<311次世代塾>津波の威力 まざまざ/第6期第5、6回詳報

気仙沼 慰霊碑に黙とう

受講生に震災当時の体験を語る佐藤さん(右)=気仙沼市の杉ノ下遺族会慰霊碑前

 東日本大震災の伝承と防災の担い手育成を目的に河北新報社などが開く通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」第6期第5、6回講座は2022年7月9日、気仙沼市で現地視察を行った。杉ノ下遺族会慰霊碑と東日本大震災遺構・伝承館を大学生ら48人が訪れ、津波の犠牲と被害、震災から11年が過ぎた被災地の現状を学んだ。

 杉ノ下遺族会会長の佐藤信行さん(71)が講師を務めた。受講生は津波犠牲者93人の名前が刻まれた慰霊碑に花を手向け、黙とうをささげた。慰霊碑付近の高台は震災前、市の指定避難場所だった。

 杉ノ下地区にはかつて、85世帯約310人が住んでいた。震災で約13メートルの津波に襲われ、全戸が流失した。避難場所も津波にのまれ、避難した佐藤さんの母しなをさん=当時(87)=、妻才子さん=同(60)=ら60人が犠牲になった。

 佐藤さんは「ここまで津波は来ないと思っていた。2方向からの波がぶつかり、約20メートルの高さになった」と説明した。

 地区は民宿や住宅が立ち並び、夏は海水浴客でにぎわった。津波を想定した防災活動が活発で毎年、避難訓練を実施。体の不自由な人をリヤカーで運ぶ練習をしていたほか、夏は海水浴場でも実施した。

 市が高台を避難場所に指定したのは、1896年の明治三陸大津波で浸水しなかったことが根拠だったという。佐藤さんは「住民も参加して決めたとはいえ正解だったかどうか」と悔やんだ。

 遺族会は震災翌年の2012年3月に慰霊碑を建立。佐藤さんは碑に並ぶ名前を指さし、「家族全員が亡くなった世帯もあった。家族を亡くしたことを悩んで、この場に来られない人もいる」と述べた。

 地区は震災後、住宅が建てられない災害危険区域になった。イチゴ農家だった佐藤さんは震災後、他の被災農家と農地の復旧を進め、農業法人を設立してネギとイチゴの栽培に取り組んでいる。

 「新しい畑は土に栄養が足りず、盛り土は草の種が混じって雑草が多いなど、思うように栽培できない難しさがある。軌道に乗るまで時間はかかるが、地域の人が農業で生活できるようにしたい」と話した。

 最後に「自然災害は予想も想定もできない。逃げて自分が助かることが大事だ」と震災の教訓を挙げ、「命さえあれば復興できる。防災減災に取り組み、自分の命を守ってほしい」と呼びかけた。

 受講生は震災遺構・伝承館の気仙沼向洋高旧校舎では、津波で流された工場が衝突し、破壊された4階の外壁、教室に流入した車やがれきが残っている3階など、津波の高さと威力を物語る校舎を見学した。

<受講生の声>

■農業で復興 重要
 震災の津波で浸水し、人が住めなくなった土地でイチゴとネギを生産している佐藤さんの取り組みは、地域の復興を進める上でとても重要だと思いました。震災で家族を亡くした佐藤さんの「命を大事にしてほしい」というメッセージもしっかり受け止めたい。(大崎市・東北学院大3年・伊藤一真さん・20歳)

■当時の光景 衝撃
 震災遺構は3階に車が入り込むなど当時のままの光景に衝撃を受けました。あの日避難した人の胸中を思い、心が痛くなりました。将来は災害時に役に立つ看護師になりたい。避難場所も見直しが必要との講師の言葉に、地域のことを調べて備えたいと思いました。(宮城県山元町・宮城大2年・荒陽夏乃さん・19歳)

<メモ>

 311「伝える/備える」次世代塾を運営する推進協議会の構成団体は次の通り。河北新報社、東北福祉大、仙台市、東北大、宮城教育大、東北学院大、東北工大、宮城学院女子大、尚絅学院大、仙台白百合女子大、宮城大、仙台大、学都仙台コンソーシアム、日本損害保険協会、みちのく創生支援機構。

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