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<311次世代塾>まず自分の命守って/第6期第1、2回詳報

病院・学校 避難対応学ぶ

 東日本大震災の伝承と防災の担い手育成を目的に、河北新報社などが開く通年講座「311『伝える/備える』次世代塾」第6期は2022年5月21日に開講し、第1、2回講座を仙台市宮城野区の東北福祉大仙台駅東口キャンパスで実施した。宮城県南三陸町の病院と学校で震災対応に当たった東北大病院総合地域医療教育支援部助教の菅野武さん(42)、多賀城市教育長の麻生川敦さん(65)が講師を務め、宮城県内の大学生ら123人が受講した。

 菅野さんは震災発生当時、公立志津川病院の医師だった。入院患者を担架で上階に搬送中に津波に襲われ、5階に逃げた。津波は4階に達し、患者72人が犠牲になった。

 第一波が引いた後、下階に降りて生存者を探し、10人ほどを5階に運び上げた。「行動が正しいか分からない。同じ高さの波が来たら死んでいた」と振り返り、「皆さんにはまず自分の命を守ってほしい。生き延びて、ほかの人の命を助けてほしい」と強調した。

 5階には避難を想定した備品を置いてなかった。「逃げる先に水や資材を準備することが大事。台風や河川氾濫も同じで、備えの有無で患者が耐えられる日数に差が出る」と指摘した。

 麻生川さんは当時、同町戸倉小の校長だった。海から300メートルの校舎から教職員とともに児童91人を高台に避難させた。津波は3階建て校舎をのみ込み、高台に迫った。一行はさらに上の神社境内に逃げた。

 教職員は震災の約2年前から避難先を高台にするか、校舎屋上にするか、議論していた。マニュアルは両方を併記し、最終判断は校長に委ねた。

 話し合いには副産物があった。「ラジオの購入など教職員から出た案を実行し、対策が進んだ」と説明。高台への避難と神社への二次避難は教員の声がけがきっかけで「互いに意見を言い合える関係だったことが、命が助かる一番の要因になった」と振り返った。

 一方で後悔も。高台から自宅に戻った教員1人が亡くなった。「避難後は戻ってはいけないと言っていたのに、引き留められなかった。知識を行動につなげないと命を守れない」と訴えた。

 第6期は宮城県内の9大学の学生と若手社会人150人が登録した。被災者、支援者、医療従事者ら震災の当事者が講師を務め、座学や現地視察など全15回の講座を実施する。

<受講生の声>

■事前の備え必要
 医師の菅野武さんの話は、震災発生直後の行動など多くのことを学びました。戸倉小の児童の避難の背景には、先生方の備えと決断があったと知りました。東北で医師を目指す者として、災害発生時に医療をはじめ、必要な対応ができるようにしたい。(仙台市青葉区・東北医科薬科大1年・柳原綾乃さん・19歳)

■支援の継続大事
 被災者の支援は、地震や津波が起きた直後に必要なものと考えていました。講師の話を聞き、求められる支援の内容は時間とともに変化するからこそ、継続が大事だと分かりました。被災した子どもの心の傷は見えにくい部分があることも知り、考えさせられました。(仙台市太白区・東北大4年・小野健太さん・23歳)

<メモ>

 311「伝える/備える」次世代塾を運営する推進協議会の構成団体は次の通り。河北新報社、東北福祉大、仙台市、東北大、宮城教育大、東北学院大、東北工大、宮城学院女子大、尚絅学院大、仙台白百合女子大、宮城大、仙台大、学都仙台コンソーシアム、日本損害保険協会、みちのく創生支援機構。

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