若手記者が集い、被災地の今刻む JODパートナーシップ「記者講座@南三陸」
東日本大震災の被災地に全国の地方紙から20、30代の若手記者が集い、被災記憶の伝承や取材経験の蓄積などに取り組む「記者講座@南三陸」が、2月7~9日の3日間のプログラムで行われた。地方紙連携の枠組みである「JODパートナーシップ」が河北新報社の「震災報道若手記者プロジェクトチーム」の協力を得て初開催し、18社の計26人が参加。甚大な津波被害からの復興に取り組む宮城県南三陸町で町並みの変化に戸惑う被災者の証言に耳を傾け、それぞれの地域で防災や災害報道に役立てる決意を新たにした。
<「記者講座@南三陸」プログラム>
2月7日(火)午後 集合
河北新報社でオリエンテーション
8日(水)午前 南三陸ポータルセンターで大沼ほのかさん取材
午後 高野会館見学
南三陸ポータルセンターで佐々木真さん取材
9日(木)午前 河北新報社で全体討議
解散
若手農業者・大沼ほのかさんに聞く 夢は「心の古里」前向きに
2日目の被災地取材は午前、南三陸町の農業大沼ほのかさん(24)から小学6年の時に遭った被災体験や農家としての仕事、大好きな古里への思いを聞いた。
同町歌津地区にあった自宅を流された大沼さん。北海道江別市に2年間避難した後、地元に戻った。現在は同町入谷地区の「大沼農園」を1人で営み、地元食材を使ったクレープの移動販売も手がけるなど精力的に活動する。
6年前、宮城県農業大学校在学中に研修した入谷地区で2019年に就農。中山間地の風景や住民の暮らしぶりに震災前の町内を思い出した。「そうした環境をつくっていたのは地元の農家と気付いた。好きだった時間を取り戻したいと思った」と振り返る。
震災から間もなく12年がたつ今でも、完全には気持ちの整理がついていないという。「当時のことを話そうとすると津波が町を襲う光景や音が戻ってくる」と涙ながらに心境を語った。
閉鎖的な傾向があった町民がボランティアを受け入れた経験を通じて新しいことにも理解を示すようになった一方、若い世代が町を離れる課題にも触れた。参加者たちは「『復興』という言葉をどう思うか」「町並みの変化をどう捉えているか」などと問いかけた。
「自身の夢は何か」と聞かれた大沼さんは、農家カフェ開設という将来の目標を披露し「訪ねて来た人が素の自分に戻れる空間をつくり、誰もが心の古里と思える町にしたい」と前向きな姿勢を見せた。
居酒屋経営・佐々木真さんに聞く 復興巡り複雑な心境吐露
午後は南三陸町シルバー人材センターの事務局長を務める傍ら町内で居酒屋を営む佐々木真さん(51)を取材した。参加者は、民間の震災遺構として建物が残されている冠婚葬祭場「高野会館」での被災経験を聞いた。
当時、町社会福祉協議会の職員だった佐々木さんは老人クラブの芸能発表会があった高野会館で被災、300人以上の高齢者を屋上に誘導。がれきに覆われた町中心部を約2時間歩いて小学校まで行き、物資を抱えて戻った。屋上で一夜を明かした高齢者は全員が助かった。
高さ約20メートルの屋上まで迫る津波を目の当たりにした佐々木さんは「恐怖を通り越して別世界に来たようだった」と表現。「これ以上の津波が来たら、手をつないで流されようと声をかけ合った」とも振り返った。
避難生活の町民が落ち着ける場所をつくろうと、いち早く居酒屋を再開させたことなど生活再建の歩みも語った。参加者たちは「震災の教訓として最も伝えたいことは何か」「ハードの復旧が進んだ現在の町をどう見ているか」などと質問した。
「自分自身は復興したと思うか」と問われ、佐々木さんは「犠牲になった同級生のことを思い出すと『生きていてくれたら…』と考えてしまい、今でもすっきりしない。そうしたもやもやが晴れれば復興したと言えるのだろうが、果たしてその時が来るかどうかは分からない」と複雑な心境を吐露した。
参加者全体討議 地域に寄り添う報道模索
最終日の9日、仙台市青葉区の河北新報社で全体討議を行った。参加者は南三陸町での取材で感じたことを振り返り、長期に及ぶ災害報道への向き合い方などについて意見を交わした。
復興が進んだ町並み、被災地に暮らす人の複雑な思いに直接触れ、愛媛新聞の森満里子さんは「報道や資料でしか知らなかった事実が立体的に見えた」と話した。福井新聞の前田皐さんは「ハード面は直っても景色や人、心など、もう戻らないものがたくさんあると実感した」と明かした。
取材は自らを省みるきっかけになり、新潟日報の小林千剛さんは「『震災を風化させない』のような一言ではとても片付けられない。枠にはめる取材をしてしまっていなかったか、反省した」。神奈川新聞の最上翔さんは「取材相手に深く、長く寄り添えるのが地方紙の強みだと再認識した」と力を込めた。
岩手、福島の両被災県の4人は地元との対比を交えて感想を述べた。福島民友新聞の渡辺晃平さんは「福島県双葉郡は復旧のステージに立てておらず、違いを感じた。震災を機に町も人も新しいものを取り入れるようになった点は同じだと思った」と紹介した。
各地で起きた自然災害、今後発生が予想される巨大地震を念頭に、新聞記者として何をすべきかに議論は及んだ。西日本新聞の鶴善行さんは「葛藤を抱えながらも震災に向き合い、話をしてくれる方々の思いに応えたい。被災者の心の変化に目を向けて、丁寧に話を聞いていく」と誓った。
参加者の声
◆内面の変化追いたい 大沼さんは「最近、当時のことをようやく話せるようになった」と言った。年月を経て気持ちが変わることもある。震災を経験した岩手の記者として近い距離で被災者を取材し、内面の変化を追いたい。佐々木さんは、災害時の備えを日頃から家族で話し合うことの大切さを教えてくれた。紙面で伝えるのはもちろん、記者もそれぞれ日々考えなければならない。(岩手日報・斎藤詩菜さん・23歳)
◆過疎地共通の課題に 取材した2人は、復興を進めるためには若者の流出対策が必要だと声をそろえた。若者を受け入れられるだけの仕事が不足しているのは被災地に限らない。全国の過疎地域に共通する課題だ。大沼さんは、移住した新住民らによる新たな取り組みを知ってほしいとも話していた。住民の奮闘ぶりを伝えることが、同じ課題に直面する各地の参考になると再認識した。(山形新聞・半田徹さん・28歳)
◆古里福島もっと発信 新しい道路や商業施設が完成した今なお、大沼さんは昔の町並みが津波で奪われたことに「ちょっと寂しい気持ちがある」と話していた。ソフト面の復興が進まない現状は被災地に共通の課題と実感した。全国の地方紙から集まった同世代の仲間からは、古里である福島の現状に関して質問も受けた。取材を重ね、もっと福島を発信できる記者になりたい。(福島民報・長野野々香さん・22歳)
◆当事者として取材を いつもは東京電力福島第1原発事故で被災した福島・浪江で暮らし、取材している。復旧のステージに立てていない地域がある福島と比べ、南三陸には新しい街があり、活気を取り戻そうと活動する人たちがいた。半面、新しいものを取り入れようと町や住民が模索している点は共通していた。現場に足を運び、当事者として取材する大切さを再認識した。(福島民友新聞・渡辺晃平さん・31歳)
◆さまざまな角度から 同じ被災地でも、受けた被害の程度や復興の進み具合が異なる。今回初めて福島県外の地域を取材し、改めて気付かされたことが多かった。これまでは発生の直後から取材を続ける先輩に引け目も感じていた。被災者の話を聞き、当時中学生だった私だからこそ持てる視点があると感じた。今後もさまざまな角度から被災地と向き合い、伝え続けたい。(福島民友新聞・阿部二千翔さん・26歳)
◆当事者の声を大切に 大沼さんは言葉を詰まらせながら、震災当時のことを話してくれた。数年間は取材を受けても被災状況に言及することを避けていたと聞き、時間がたった今だからこそ表現できることがあると気付いた。そうした声に耳を傾け、よりよい発信の方法を考えたい。分かりやすく伝えることはもちろん、当事者の声を大切にしながら報道する必要があると感じた。(下野新聞・鈴木祐哉さん・28歳)
◆地方紙の強み再認識 石巻や陸前高田は自分の目で確かめてきたが、南三陸の状況も知ることができて勉強になった。取材した2人が地元の記者に心を許す様子を見て、深く長く寄り添えることこそ地方紙の強みと再認識した。ボランティアを受け入れ、閉鎖的だった住民がオープンに変化したという。震災が人の性格さえ変えたことに驚いた。関東大震災100年報道に生かしたい。(神奈川新聞・最上翔さん・32歳)
◆枠にはめる取材、反省 新潟には福島からの避難者が多いため福島で取材する機会はあったが、宮城は初めて。大沼さんが、当初は取材を断っていたことが衝撃的だった。「風化してほしくない」「忘れてほしくない」との思いが強くても、「伝えたい」と必ずしも結び付けるべきではないと知った。固定観念で枠にはめるような取材をし、記事を書いていたのではないかと反省した。(新潟日報・小林千剛さん・35歳)
◆頑張る人の姿伝える 南三陸と能登半島は、過疎が進む里山や漁師町である点が似ている。震災を背負いながらも南三陸が着実に歩みを進め、頑張っている人たちがいることを地元に伝えたい。私たちは震災後の今しか見ることができないが、取材によって当時の被災者の思いや避難所の運営状況にも迫らなければならない。全て知るのは難しいが、関わっていくしかない。(北陸中日新聞・大野沙羅さん・25歳)
◆今も残る傷跡、印象に 仙台市内で復興道路や津波避難タワーを目にし、復興しているようでなお残る傷跡が印象に残った。景色や人の心など、もう戻らないものがたくさんあると実感した。一方、そうした傷跡は見たくないという被災者もおり、震災遺構として残すことの難しさを感じた。福井では津波被害が余り知られていない。備えの面を勉強し、地元の人に伝わる記事を書きたい。(福井新聞・前田皐さん・29歳)
◆解像度高い記事書く 南三陸は新しい道路や建物に「きれいな町」の印象を抱くと同時に、昔の町並みが強制的に奪われたむなしさも感じた。一方で町に残り、たくましく生活する2人の姿には勇気づけられた。遠い岐阜の読者にも伝わるような解像度の高い記事を書きたい。震災学習や防災は重いテーマだが、名産品を食べに来たついでに勉強する「被災地ツーリズム」もいい。(岐阜新聞・織部俊太朗さん・27歳)
◆心の距離近づけたい 南三陸へ向かう車中から仙台・若林の復旧農地や旧荒浜小を眺め、かつての暮らしや被災当時の様子を鮮明にイメージできるようになった。震災を自分と懸け離れた所で起きた出来事と捉えていたと思い知らされた。つらい経験をしても前を向き歩む希望の部分をありのままに書き、被災者とそうでない人の心の距離が近づく体験を読者に届けたい。(中日新聞東海本社・小林颯平さん・23歳)
◆人間関係構築が必要 東海地震や南海トラフ巨大地震が起きた時、どんな態度で臨めばいいか考えることが多く、今回参加した。同年代の大沼さんが途中で泣きながら話してくれたのが印象に残っている。記者として伝えることは大切だが、無理して話をさせるのは「なんでこんなことをしているんだろう」と引っかかってしまう。人間関係を築いているかどうかで全く違うのだろう。(静岡新聞・沢口翔斗さん・24歳)
◆震災終わっていない 震災当日は海外にいたので、自分が伝えていいのかという負い目がずっとあった。現地では大沼さんが泣きながら伝えてくださり、佐々木さんも悲惨な体験をしているのに一生懸命に話してくれた。3階までガラスがなくなった建物なども見て、報道や資料でしか知らなかった事実が立体的に見えてきた。これは伝えなければと思った。震災は終わっていない。(愛媛新聞・森満里子さん・34歳)
◆記事の出し方考える 大沼さんや佐々木さんはすごく前向きな話をされていたが、もう話すのも目にするのも嫌だという方もいるかもしれない。新聞は全部を伝えきれないが、現地に足を運び、地域の声を聞いて、復興に向けた記事の出し方を考えていかなければいけないと感じた。高知は地震や台風など災害が多く、今後は南海トラフ巨大地震に向き合っていかなければならない。(高知新聞・川田樹希さん・24歳)
◆被災者の思い伝える 「自分の気持ちを整理したいという思いが、経験を話す動機になっている」という大沼さんの言葉があった。なかなか整理できるものではないと思うが、葛藤を抱えながら震災と向き合っている方がいて、きちんと話してくれる方がいる。その思いに記者として何ができるのかというと、やはり伝えることだ。しっかりと記事を書き、広く知ってもらいたい。(西日本新聞・鶴善行さん・34歳)
◆「復興」改めて考える 大学生の時に熊本地震を経験したが、入社後は震災報道に関わったことがなく、今回来てみた。印象に残っているのは佐々木さんへの取材。「復興って何ですか」という質問に「ハード面の復興は終わっているかもしれないけど、もやもや感が死ぬまで続くんじゃないか」と不安を話していた。そういう人がいっぱいいるということを改めて考えさせられた。(西日本新聞・白波宏野さん・26歳)
◆報道で同じ悲劇防ぐ 熊本地震の発生から7年を前に、どんなことを書けばいいかヒントを得られればと思い参加した。大沼さんのように、当事者が同じような悲劇を生まないために話したいと思った時、広く伝えられるのは報道しかない。1年前に仮設住宅の高齢女性を取材し、その後、次の住まいが見つかったという電話をもらった。熊本に帰ったら直接会って話してみたい。(熊本日日新聞・東誉晃さん・26歳)
◆鹿児島の人に還元を 東北に来たことはなかったが、震災の傷跡を見たり、その地で生きている人が心を削りながら教訓を知ってほしいと伝える姿を見たりして、鹿児島の人たちに還元したいと思った。傷ついた人たちとつながり続けるのは現実的に難しいものの、自分にできることは何か。鹿児島の人たちが東北に足を運んでみたいと思うきっかけになるような記事を書きたい。(南日本新聞・鹿島彩夏さん・26歳)
<河北新報参加者>
気仙沼総局南三陸分室・高橋一樹、報道部・柴崎吉敬、池田旭、高橋杜子、写真映像部・藤井かをり、岸菜々美、コンテンツセンター・藤沢和久
[震災報道若手記者プロジェクトチーム]東日本大震災後に河北新報社に入社した20、30代の若手記者有志が2021年12月に設立した。震災当時を直接知らない若い世代が年々増える中、命と地域を守る教訓をどう伝承するか、震災報道の経験や取材先をどう社内継承すべきか、同じ世代として率先し模索するのが狙い。約50人のメンバーが話し合いや勉強会を重ねながら取材するテーマを自発的に設定し、紙面だけでなくウェブや交流サイト(SNS)も駆使しつつ多面的に発信している。
[JODパートナーシップ]地方紙や地方局による連携の枠組みで、読者との双方向型の調査報道を実践するため2018年9月発足した。現在、河北新報社をはじめ全国の30社計33媒体が参加。各社はLINE(ライン)やメールで寄せられた調査依頼を基に取材に着手、読者の疑問解消や地域課題の解決を目指し記事化する。記事はチャットを通じて各社間で共有しており、素材提供を受け各媒体に転載可能。21年からは東日本大震災の風化防止などを目的に協働企画「#311jp」に取り組む。JODは「ジャーナリズム・オン・デマンド」の略。
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