面影探し心重ねる 東日本大震災12年 思いそれぞれ
東日本大震災は11日、発生から12年がたった。巨大地震による大津波が東北の太平洋沿岸に未曽有の被害をもたらし、関連死を含む死者・行方不明者は約2万2000人に上る。石巻地方では約6000人が犠牲になった。
地震発生時刻の午後2時46分、遺族は静かに目を閉じ、在りし日の姿と十三回忌までの年月に心を寄せた。春めいた陽光の下、多くの市民が雪の舞っていたあの日に思いをはせた。
石巻市と東松島市は追悼式を、女川町は追悼のつどいを開き、記憶と教訓の継承を犠牲者に誓った。
石巻市
<「会いたい」 願い今も>
石巻市の追悼式は石巻南浜津波復興祈念公園内の市慰霊碑前で開かれた。
遺族代表や来賓ら約80人が出席。午後2時46分、防災行政無線のサイレンに合わせて黙とうした。斎藤正美市長は式辞で「震災の経験と教訓が今後の防災に生かされ、あらゆる災害から人々の命が守られることを願う」と述べた。
慰霊碑には多くの市民も花を手向けた。碑に刻まれた大切な人の名前を探し、じっと見つめたり、そっとなでたりしながら冥福を祈った。
同市鹿又の大槻ともえさん(53)は湊地区で被災。伯父と親友を失った。親友とは30年近い付き合いで、何でも相談できる関係だったという。「家族のような存在だった。今でも会いたい」と悼んだ。
渡辺博道復興相も同日午前、祈念公園を訪れて献花した。市は河北、雄勝、河南、桃生、北上、牡鹿の各地区にも献花台を設けた。
東松島市
<花を手向け、笑顔思う>
東松島市の追悼式は市コミュニティセンターで開かれた。遺族や市民ら約300人が参列し、行方不明の23人を含む犠牲者1133人の冥福を祈った。
犠牲者の十三回忌に当たることから地域ごとの法要などに配慮し、地震が発生した午後2時46分より早い午後1時に開催した。渥美巌市長は式辞で「震災を後世に語り継ぐことが被災自治体の責務。亡くなった方々と遺族に哀悼のまことをささげたい」と述べた。
参列者は一人一人献花し、祭壇に手を合わせた。参列した同市あおいの会社員木村優子さん(30)は祖母の美代子さん=当時(72)=と弟の学さん=同(17)=を亡くした。
木村さんは「十三回忌は区切りではないけれど、こんなに月日がたったんだと実感した。震災を忘れたい気持ちとこの日ぐらいはちゃんと思い出してあげたい気持ちがある。今日は2人を思って祈りたい」と話した。
女川町
<「今をしっかり生きる」 空に誓う>
女川町は町役場敷地内にある震災慰霊碑前で、自由献花方式の「追悼のつどい」を開いた。訪れた人たちが献花場に花を手向けたり、慰霊碑に刻まれた名前を探してなでるなどして犠牲者を供養した。
午後2時46分のサイレンに合わせて須田善明町長、町関係者、町民ら50人以上が黙とう。須田町長は「震災を多くの人に伝えることが経験した人の務め。悲しみを一つでも減らせるように、思いを共有していきたい」と追悼の辞を述べた。
役場内では震災前の町並みをパネルで紹介。復興が進む中で開かれたイベントなどをスライドショーで振り返るブースも設けた。
震災で祖父を亡くした仙台市の会社員木村卓史さん(36)=女川町出身=は「復興して新しい景色になったが、この日はどうしても忘れることはできない。今をしっかり生きることが供養になる」と話した。
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