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私の3.11 十三回忌に寄せて>管理栄養士・佐々木春香さん

食事や栄養に関する書籍に目を通す佐々木さん

 震災から12年。石巻地方の今を生きる人たちの十三回忌に寄せる思いと、これからを聞いた。(藤本久子)

現在も行方不明の母と同じ道歩む

 東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市雄勝町。同町出身の佐々木春香さん(27)=東京都武蔵野市=は、津波で全壊した雄勝病院に勤務し現在も行方不明の母弘江さん=当時(42)=と同じ、管理栄養士の道を歩んでいる。「一生の始まりから終わりまで、食事は切り離せない関係。人に寄り添えるような栄養士になりたい」と決意する。

<中学卒業式の日>

 2011年3月11日は同市雄勝中の卒業式。当時3年生だった佐々木さんは式典後、仕事に戻った両親と別れ、町内で友人と遊んでいたところ地震に遭った。

 友人や親戚とともに高台の公園やクリーンセンターで過ごす中で、雄勝病院の被害や、母がまだ見つかっていないことを聞いた。「涙が止まらない中、友人がずっとそばにいてくれた。当時は情報が入り交じり、なかなか母の足取りがつかめなかった」

<高3の夏に決意>

 数日後、父や祖父、2歳下の妹、11歳下の弟と合流。母方の実家に身を寄せた後、石巻市内に家を借りた。父と家事を分担しながら石巻高に通った。母を捜しに父と遺体安置所を回ったこともあるが、一度で心が耐えきれなくなり、以降は妹と車で待っていた。

 管理栄養士を目指すことを決めたのは、高校3年の夏。看護師も選択肢にあり迷っていたという。「進路や就職先を選ぶ際に父ともめた。母が栄養士になったのは父と結婚する少し前。父も母の姿を見てきて、勉強の大変さや給料など心配する面も多かったのだと思う」

 「震災当時4歳だった弟、腎臓の持病がある父、高齢の祖父の食事を、母は日々考えてこなしていた。食事を作った後職場に戻ることもあり忙しそうではあったが、楽しく仕事をしていた」と振り返る。雄勝病院の患者の遺族から、「終末期だったが雄勝で食事を取れるようになり、穏やかに過ごせていた」と感謝の手紙をもらった。

<安全配慮し考案>

 神奈川県の大学を卒業後、現在は都内の保育園に勤める。120人ほど在籍する園児の障害やアレルギーの有無などを考慮し、食事やおやつを考案する。節分などの行事にちなんだメニューのほか、園内の畑で取れた野菜を紹介し、楽しく過ごしてもらえるよう心掛けている。

 十三回忌を迎え、母が自分を産んだ年齢に近くなり、子どもたちを残していってしまった母の気持ちを考えることもある。

 「園児もさまざまな家庭環境や事情の中で生活している。食事を通じて寄り添っていきたい。福祉施設にも興味があるので、より多くの人に関われたら」と話した。

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