私の3.11 十三回忌に寄せて>会社員・須藤扶美子さん
震災から12年。石巻地方の今を生きる人たちの十三回忌に寄せる思いと、これからを聞いた。(西舘国絵)
石巻で被災、語り部ボランティアに
仙台市太白区の会社員須藤扶美子さん(60)は、石巻市緑町の実家に両親を訪ねた帰り、JR石巻駅で発車を待つ仙石線の車内で地震に襲われた。あの日見た、押し寄せる生コンクリートのような塊。「特撮でも見せられてるの?」。津波とはとても思えなかった。
<偶然重なり避難>
揺れが収まった後、駅を出て内海橋を渡り、石巻湾から700メートルほどの距離に建つ実家までの道を急いだ。家の近くの公園で防災無線を聞き、そこで初めて津波の到来を知った。
家では父親が壊れた塀を片付けていた。経験から津波は来ないと判断した父と言い合いになり、家の2階から海の様子を確認すると、既に家の前まで津波が押し寄せていた。津波に追いかけられながら、両親と急いで2階に避難した。
家にたどり着くのがあと5分遅かったら。家までの道中、津波にのまれていたら。そもそも、もし自分が石巻に来ていなかったら。「偶然が重なって私たちは助かった」。須藤さんはそう振り返る。
仙台の夫に無事を伝えられたのは震災から4日後。携帯電話のアンテナが立ったときの喜びは忘れられない。勤め先の携帯電話会社は震災直後、被災地復旧に従事する有志を全国の社員に募った。「命の声をつなげるのを待っている人が大勢いる」。須藤さんは数万の社員に「力を貸してください」とメールを送った。
偶然が重なって助かった命。一方で報道を通じ各地の悲惨な状況を知り、悔しさが沸いた。生き残った者として、発信しなければ。
河北新報社のSNS「ふらっと」に被災体験や石巻のことを書いて投稿を重ね、東京五輪・パラリンピックでは語り部のボランティアをした。そこで出会った語り部からみやぎ東日本大震災津波伝承館で語り部を募集していると聞き、昨年10月に石巻でも活動を始めた。
<「防災士」を取得>
危険をきちんと訴えるべく、防災士の資格も取った。それでも、あるセミナーで防災士の女性が口にした言葉が忘れられない。「家族の目の前で自分だけが津波にのまれそうになったら『絶対助けに来るな』と言えるけど、逆の立場だったら助けに行っちゃうよね」
防災を学んでも割り切れないものがある。だからこそ、最悪を想定し最善の行動が取れるよう備える必要がある。
今では「会社で役員の次にメディア露出が多いプチ有名人」になったと笑う須藤さん。「『救えたはずの命』だなんて、もう誰にも言ってほしくない」。須藤さんの発信は続く。
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