(552)父母の存命中の桜かな/杉浦圭祐(1968年~)
例えば想像できるのは、亡くなった父母を撮った写真の桜です。今は亡き家族を懐かしみ、今も咲き続ける桜に思いを馳(は)せています。あるいは、存命という言葉から今の生とその先にある死ということを考えました。今父母は生き、桜は咲いています。しかし彼らがいなくなった後に、桜咲く日が来ることも事実です。それは…
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