(557)掃いてまた花の箒となりゐたり/西山睦(1946年~)
俳人にとって、桜は満開の花を見るだけではない。積もった花屑(くず)も、それを掃く「花の箒(ほうき)」も、満開の桜に負けず劣らず心惹(ひ)かれるアイテム。その後はベンガラ色に「桜蘂(さくらしべ)降る」のを楽しみ、初夏の「葉桜」の瑞々(みずみず)しさを愛(め)でる。この句は、住宅街の桜の木だろうか。桜…
関連リンク
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「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。