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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>行政単位と石巻地方 Ⅱ

古代「黒川以北十郡」の山道諸郡と海道諸郡
「海道 二番」と墨書された赤井遺跡出土第1号木簡               (東松島市教育委員会提供)

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配

<「海道」を裏付ける木簡>

 和銅3(710)年、日本の京(みやこ)が飛鳥の藤原京から奈良の平城京に遷都します。平城京に遷都してからが奈良時代です。奈良時代初めの養老元(717)年ごろ、律令制が大崎・石巻平野にも及びます。国郡郷里制の施行によって、仙台平野の北側に10の郡と、郡を構成する郷が置かれました。「続日本紀(しょくにほんぎ)」で「黒川(くろかわ)以北十郡(じゅうぐん)」と一括して記載される黒川・賀美・色麻・玉造・志太・富田・長岡・新田・小田・牡鹿郡です。この行政単位のほかに広域の地域名称として「山道(さんどう)」「海道(かいどう)」と呼ばれるまとまりがあります。

■広域の呼び名に

 「山道」「海道」は、律令制で五畿・七道に分けた大きな行政単位の東山道諸国と東海道諸国に関連する呼称と考えることができます。七道には、行政単位のみではなく、諸国を通る道路が整備されていました。「山道」は陸奥国が属した東山道の道路(現在の福島県中通りから仙台平野・大崎平野を抜けて岩手県へ続く国道4号に類似するルート)に近接する地域を指します。「海道」は常陸国で終わる東海道の延長に整備された、いわきから岩沼までの福島県浜通りの道路で、平安時代初めごろまで10の駅が設けられて機能していた地域です。さらに、宮城県北部では再び分かれて大崎平野の内陸部と、太平洋寄りの石巻平野の地域もそれぞれ山道・海道と呼ばれました。

■続日本紀に登場

 「続日本紀」には宮城県北部の大崎・石巻平野を指して、何度か「山道」「海道」の呼び名が登場します。神亀(じんき)元(724)年3月の記事に「陸奥国言(もう)さく、海道(かいどうの)蝦夷(えみし)反き、大掾(だいじょう)従六位上佐伯宿禰児屋麻呂(さえきのすくねこやまろ)を殺せり」(原文は漢文)とあります。また、天平9(737)年4月の記事に「…聞(き)かくは、山海両道の夷狄(いてき)等咸(ことごと)く疑懼(きぐ)を懐(いだ)く。よりて田夷(でんい)遠田郡領外従七位上遠田君雄人(とおだのきみおひと)を差して、海道に遣わし、帰服の狄和我君計安累(わがのきみけあるい)を差して山道に遣わす…」(原文は漢文)とあります。さらに、宝亀5(774)年7月の記事に「陸奥国言さく、海道蝦夷、忽(たちま)ち徒衆(ずしゅう)を発し、橋を焚(や)き道を塞(ふさ)ぎ、既に往来を絶つ。桃生城を侵し、其の西郭を敗る…」(原文は漢文)の海道蝦夷による桃生城襲撃事件の記載があります。このように、大崎・石巻平野の山道・海道の記事は蝦夷と関係して登場することが多いのです。

 平安時代の「延喜式」の国郡の記述は、道に沿って郡名が記載されていると考えられています。黒川郡以北をみると「黒川、賀美、色麻、玉造、志太、栗原、磐井、江刺、胆沢、長岡、新田、小田、遠田、登米、桃生、気仙、牡鹿」の順に記載されています。これらの文献に遺(のこ)る山道・海道を研究している元国立歴史民俗博物館館長の平川南先生は、単なる地域の呼称ではなく、山道と海道の行政ブロックがあったと考えています。奈良時代の黒川以北十郡でいえば「黒川、賀美、色麻、玉造、志太、富田」郡が山道、「長岡、新田、小田、牡鹿」郡が海道の区分です。
赤井遺跡で出土

 1999年、東松島市赤井遺跡から「海道 二番」と書かれた木簡が出土しました。長さ19・4センチ、幅3・4センチ、厚さ0・5センチの板状の木簡(もっかん)で、下部は三角形にとがらせています。表面には人名とみられる「□主諸」、裏面には「海道 二番」と墨書されています。木簡は古代の文書伝達に使われる木札です。赤井遺跡第1号木簡は、形状から荷札の木簡と考えられます。「海道 二番」は荷を送った所属グループを指すと考えられます。奈良時代には国郡郷里制が施行されていますから、本来なら国名、郡名、郷名が記されるのが一般的です。長岡郡、新田郡、小田郡、牡鹿郡の郷あるいは海道蝦夷から送られた荷に付けられていたものと考えられます。つまり、海道地方の(二番というグループ・地区?あるいは二番という)貢進物に付けられた荷札が、送り先の牡鹿柵・郡家から出土したものです。この「海道 二番」の木簡の出土によって、「海道」という行政ブロックが存在したことを裏付ける資料ともなったのです。

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