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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>海道の蝦夷反乱と丸子大国の活躍

神亀元(724)年の海道の蝦夷の反乱
赤井官衙遺跡出土の火熱を受けて赤く変色した瓦(「赤井遺跡発掘調査総括報告書I」より)=東松島市教委提供

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配

<牡鹿柵周辺で焼き討ち>

 日本の国は大宝律令(701年)を制定して法制度で国家運営に当たりましたが、元々国家の勢力範囲外であった境界域であつれきを生み、反乱が起きました。養老4(720)年の隼人(はやと)の反乱と蝦夷(えみし)の反乱で、律令国家の南西端と北東端で起こりました。

 養老4年の蝦夷の反乱は、陸奥国の最高権力者である按察使(あぜち)上毛(かみつけ)野広人(のひろひと)が殺害されるという大事件でした。この反乱は蝦夷と境を接する山道地方(現在の大崎市古川周辺)で起こったものと考えられます。国家は翌日には征夷(せいい)将軍ほかを任命して軍隊を送り込み、養老5年4月には鎮圧して帰還しています。

■3カ国を再統合

 中央政府は蝦夷政策を転換せざるを得ず、先に養老2(718)年に陸奥国を分割して石背(いわせ)国(福島県中通り地方)、石城(いわき)国(福島県浜通り地方)と陸奥国(仙台平野から大崎・石巻地方)の三つの国に分割統治したことを改め、再統合して広域陸奥国に戻します。さらに仙台長町にあった初期国府の郡山官衙(こおりやまかんが)遺跡II期から国府を北方の多賀城に移転します。新しい国府多賀城は反乱鎮圧直後の養老4~5年頃から建設に入り、神亀(じんき)元(724)年に完成します。

■4年後に再炎上

 養老4年の蝦夷の反乱は翌年までには鎮圧されますが、その火は4年後に再び燃え上がります。石巻地方で起こった神亀元年の海道の蝦夷の反乱です。「続日本紀」神亀元年3月甲申(25日)条に「陸奥国言(もう)さく、『海道の蝦夷反(そむ)きて、大掾(だいじょう)従六位上佐伯宿禰児屋麻呂(さえきすくねこやまろ)を殺せり』とまうす」(原文は漢文)とあります。京(みやこ)から赴任してきた国司(こくし)(陸奥国の役人)のうちの大掾(三等官)である佐伯児屋麻呂を殺害したのです。国を治める役人は中央からの派遣官で、守(かみ)・介(すけ)・掾・目(さかん)の四等官(しとうかん)から成ります。陸奥国は大国なので守・介・大掾・少掾・大目・少目の六人の国司が派遣されています。その大掾が海道の蝦夷によって殺害されたのです。律令国家はすぐに持節(じせつ)大将軍、副将軍らを任命して海道の蝦夷を討たせます。

■在地氏族が功績

 翌、神亀2年正月には天皇から朝廷で論功行賞が行われ、征夷将軍以下1696人に勲位が与えられました。そのうち「続日本紀」には正四位上藤原(ふじわらの)宇合(うまかい)、従五位上大野東人(おおののあずまひと)ら14名の名前が記載されています。ほとんどが征夷軍および陸奥国司、鎮守府(ちんじゅふ)の主要官人ですが、末尾に「外従六位上丸子大国(まるこのおおくに)」、「外従八位上国覔忌寸勝麻呂(くにまぎのいみきかつまろ)」の外位(げい)2名が記載されています。「外位」とは位階の前に「外」が付くもので、中央の役人ではなく地方の役人に与えられた位階です。「丸子大国」は牡鹿郡の丸子氏、「国覔勝麻呂」は陸奥国新田郡の国覔氏と考えられるので、海道地方の在地有力氏族が征討に協力して功績があったものと推定されます。丸子大国はその位階から郡領(ぐんりょう)(郡の長官)クラスの人物と考えられます。

 まさに神亀元年の反乱は、牡鹿地方を含む海道地方で反乱が起こったことを裏付けるものです。わたしはこの陸奥国大掾佐伯宿禰児屋麻呂殺害事件は牡鹿柵(赤井官衙遺跡)周辺で起こったのではないかと考えています。

 8世紀初頭から前葉の赤井官衙遺跡III-2期は、III-1期の床面積が20平方メートル前後の小規模建物から、50平方メートルの高床倉庫や70平方メートルの大型の掘立式建物が増加する時期に当たります。発掘調査の結果、この大型建物が立ち並ぶ150万平方メートルの遺跡全体が大規模火災にあって焼失していることが分かりました。建物の中には瓦葺(かわらぶき)の建物もあったようで、ほとんどの瓦が焼けて赤く変色していました。瓦の特徴は新たに建設中の多賀城に葺かれるものと同じものであることから、赤井官衙遺跡の大規模火災は神亀元年の海道の蝦夷の反乱によるものと考えられるのです。

 2024年は海道の蝦夷の反乱から1300年を迎えます。故郷の歴史を考える機会になればと思います。

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