発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>陸奥国府多賀城の創建
【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】
第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配
<国家の威厳、蝦夷に誇示>
JR東北線国府多賀城駅のすぐ北側に奈良-平安時代の国特別史跡多賀城跡があります。多賀城は当時の陸奥国の役所である国府であり、北方の蝦夷と対峙する軍事基地である城柵として造られました。
国の事業として造られたのですが、正式な歴史書である「続日本紀(しょくにほんぎ)」には多賀城を造った記載がありません。多賀城の外側を囲う外郭に取り付く南門の内側に建っている「多賀城碑」(国重要文化財)の碑文に多賀城が造られた経緯が刻まれています。多賀城碑によれば、神亀元(724)年大野東人(おおののあずまひと)が創建し、天平宝字6(762)年藤原朝獦(ふじわらのあさかり)が改修したと記されています。
■外郭南門を復元
令和6(2024)年は多賀城が創建されてから1300年目に当たります。これを記念して多賀城市や宮城県でいろいろなイベントが計画されています。
この事業に合わせて多賀城跡の外郭南門の復元工事が進められています。復元された門は重層構造(2階建て)で柱は朱で塗られ瓦葺で八脚門(やつあしもん)と呼ばれる格式の高い門です。門の左右には築地(ついじ)大垣と呼ばれる土を突き固めた土塀が取り付いています。
多賀城跡は小高い丘の上に建設され、約1キロ四方の歪(ゆが)んだ方形の範囲を築地塀や材木塀で囲んでいて、その中央に約100メートル四方を築地塀で囲んだ政庁と呼ばれる政治や儀式が行われる空間を設けています。政庁は天皇の代わりに儀式を行う正殿と、臣下が配列したり供宴を行ったりする東西脇殿(わきでん)、その中間に儀式空間の庭が配置されていました。外郭の築地塀で囲まれた内部には軍事組織である鎮守府(ちんじゅふ)の事務棟や行政実務の建物群が立ち並んでいます。古代陸奥国の象徴にふさわしい施設だったと想像できます。
■懐柔から服属へ
かつて古代東北の歴史は、奈良平城宮にあった中央政府の命で多賀城が造られてから蝦夷を征討して東北地方の支配が始まったと説明されていました。しかし、実はそのような単純な図式で説明し切れないものだったのです。
これまでのお話で説明してきたように、平城宮よりも前の飛鳥藤原宮(ふじわらみや)の時代に仙台市長町郡山に最初の陸奥国府(郡山官衙(こおりやまかんが)遺跡II期)が造営され、さらに北方の大崎・石巻地方に丹取柵(にとりのさく)や牡鹿柵などのいくつかの拠点を設けて律令制を施行しました。
大崎・石巻平野全体を法に基づき国郡里制(くにぐんりせい)によって支配するには、それまでの移民だけでは人が不足していたので、霊亀(れいき)元(715)年に坂東6国から1000戸(約2万人)の公民を移住させて10の郡をつくって地域支配を進めたのです。
また、福島・宮城県域という広範囲の陸奥国は、広過ぎて支配が行き届かないことから、養老2(718)年に石背国(いわせのくに)(福島県中通り・会津)、石城国(いわきのくに)(福島県浜通り)、陸奥国(宮城県)の三つの国に分割しました。
しかし蝦夷と共存する大崎・石巻平野では、早急な郷里制(ごうりせい)、税制の施行などから養老4(720)年の蝦夷の反乱を招いてしまいます。陸奥国の最高権力者を殺害された国家は、軍隊を派遣して鎮圧すると同時に、対蝦夷政策を貢物に対する返礼品や位を授けて仲間に引き入れる懐柔策から武力を誇示して服属させる強硬策に転換せざるを得なかったのです。
■軍事機能を強化
律令国家は飛鳥藤原宮のミニチュア版ともいえる儀式的色彩の強い国府郡山官衙II期の施設から、北方15キロの多賀城市浮島に蝦夷の反乱に備えるように軍事機能を強めた築地塀の外郭を1キロ四方に巡らせた軍事基地兼国府として新たに多賀城を創建したのです。併せて軍隊や兵糧米などを蓄える必要から、再び一つの広域陸奥国にまとめ直しました。
1年足らずで鎮圧した養老4年の蝦夷の反乱後、反乱のあった大崎地方から多賀城建設のための木材や屋根瓦などの建築資材を生産させて運び出しました。反乱地の蝦夷たちに国家の威厳を誇示したかったのかもしれません。
新しい国府多賀城が完成する神亀元(724)年、石巻地方で海道の蝦夷の反乱が発生します。この反乱で国家はさらに強固な国府創建と蝦夷に対する強硬策を意識することになったのです。
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