発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>陸奥から出羽への連絡路模索と城柵改修
【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】
第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配
<秋田城拠点に北進政策>
養老(ようろう)4(720)年の蝦夷(えみし)の反乱、神亀(じんき)元(724)年の海道蝦夷の反乱を契機に、朝廷は対蝦夷政策を懐柔策から強硬策に転換し、強固な軍事基地兼陸奥国府多賀城を創建しました。多賀城は神亀元年には完成し、しばらくは安定した国家運営がなされます。
■日本海側に進出
律令国家の東北北部への進出は日本海側でも進められ、天平5(733)年、山形県庄内地方にあった出羽柵を秋田市の「秋田村高清水岡(たかしみずのおか)」に遷し(第二次出羽柵=秋田城)、同時に横手盆地にあった雄勝(おかち)村に雄勝郡を置きました。秋田城の地はかつて大化改新直後に阿倍比羅夫(あべのひらふ)が遠征した場所です。国家の範囲を秋田市付近まで広げたというより、蝦夷や大陸の渤海(ぼっかい)国との朝貢・交易の拠点として支配に乗り出したものと考えられます。
多賀城を創建したことでも有名な陸奥(むつ)按察使大野東人(あぜちおおののあずまひと)は秋田城を支援する必要から、朝廷に多賀城と出羽柵(秋田城)を雄勝村経由で直接結ぶ連絡路を開く申請をします。「続日本紀(しょくにほんぎ)」に「陸奥国より出羽柵に達するに、道男勝を経て行程迂遠(うえん)なり。請(こ)うらくは、男勝村を制しもって直路を通ぜん」(原文は漢文)とあって、雄勝村のある横手盆地の蝦夷を制したい思惑がありました。
奥羽連絡路開削の様子は「続日本紀」天平9(737)年4月戊午条に記載されています。まず、持節大使藤原麻呂(ふじわらのまろ)らが常陸、上総、下総、武蔵、上野、下野ら6国の騎兵1000人を率いて京から多賀城に到着します。大軍が多賀城に来たことで山海両道の蝦夷に動揺が広がったので、田夷(でんい)・遠田郡領(ぐんりょう)(郡の長官)の遠田君雄人(とおだのきみおひと)を海道に、帰服の狄(てき)・和我君計安塁(わがのきみけあるい)を山道に遣わして、事の趣旨を(蝦夷に)伝え鎮静に努めます。そして196人を将軍大野東人に委ね、459人を玉造等5柵に分配し、藤原麻呂等は残りの345人を率いて多賀城を鎮守しました。副使坂本宇頭麻佐(さかもとのうずまさ)に玉造柵を、判官大伴美濃麻呂(さかんおおとものみのまろ)に新田柵を、国大掾日下部大麻呂(くにだいじょうくさかべのおおまろ)に牡鹿柵を鎮守させました。そのほかの諸柵は旧来通り鎮守させます。
こうして大野東人以下の大部隊が色麻柵、賀美郡を経て出羽への遠征を行ったのです。この遠征は2月の寒冷な時期に行われたため思うように進まず、2度目の遠征で出羽側の部隊と合流できたものの、雄勝村の蝦夷たちが動揺しているため雄勝村への進軍・城柵造営を断念しました。
■諸城柵は再整備
この記事が牡鹿柵をはじめとする玉造等5柵の初見記事です。牡鹿柵は、天平9年には既に律令国家の陸奥北部支配の重要な軍治拠点となっていたことが分かります。多賀城以北の諸城柵がいつ造営されたか記録はありませんが、7世紀末~8世紀初頭の瓦を葺(ふ)いた建物や寺院の遺跡、大型掘立柱建物が立ち並ぶ遺跡から、遅くとも8世紀初頭頃には造営されていたと考えられます。また、それら諸城柵の多くは多賀城創建瓦も供給されていて、多賀城創建や奥羽道路開削の時期には再整備が行われたと考えられます。
■赤井も改修・再建
東松島市の赤井官衙(かんが)遺跡も、神亀元年の海道の蝦夷の反乱でほとんどの建物が焼失してしまい、大規模な改修・再建が行われました。再建された建物群は赤井遺跡III-3期に当たります。III-3期(8世紀中葉)は西端の倉庫地区、中央の館院(たちいん)1、館院2、南方院(なんぽういん)の各地区各院の建物規模が最も大きくなります。
多くの大型建物は地面を黄色粘土で基壇(きだん)風に整地していました。赤井遺跡は砂地に造られた遺跡ですから、黄色い粘土はありません。4キロ以上離れた須江丘陵か広渕柏木丘陵、あるいは大塩地域から地面を整地するために運搬させたものです。
また、建物の壁は白土仕上げの土壁(現代の漆喰(しっくい)壁)を持つものもありました。白土仕上げの壁は、京の建物などに使われるもので、地方の建物にはほとんど用いられません。III-3期は風格のある最も荘厳になる時期なのです。奥羽道路開削時に国司大掾(三等官)の日下部大麻呂が軍を従えて派遣され牡鹿柵を守った記録があるように、牡鹿柵には国司が駐屯する立派な館(たち)が必要です。私は、赤井遺跡館院2が国司の駐屯する館ではないかと考えています。
天平9年の進軍後しばらくの間騒乱はなく、軍事的な記録は残っていません。陸奥国では平穏な時期が続きました。
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