発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>小田郡の産金と牡鹿郡の丸子氏
【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】
第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配
<産金功績? 連の姓、賜う>
宮城県の涌谷町・気仙沼市・南三陸町、岩手県の陸前高田市・平泉町で構成されている文化庁が認定する日本遺産「みちのくGOLD浪漫 黄金(おうごん)の国ジパング、産金はじまりの地をたどる」に、2022年7月29日、石巻市の「金華山詣(もうで)」と「金華山道」が新たに追加となりました。
■日本初の産金地
日本遺産「みちのくGOLD浪漫」認定をリードしてきた涌谷町は奈良時代には小田郡に属し、日本最初の産金地として有名です。産出した金は奈良東大寺大仏完成に貢献しました。産金地は黄金(こがね)山産金(やまさんきん)遺跡として国史跡となり、隣接地に奈良時代の意匠をイメージした物産施設兼博物館施設の天平ろまん館が建ち、砂金取り体験なども行われています。
奈良時代半ばの小田郡の産金の背景を見てみましょう。
天平9(737)年の陸奥国府多賀城から秋田城への連絡路開削計画は秋田雄勝(おかち)村の蝦夷の動揺で大規模事業としては行われませんでした。計画を発案した陸奥守大野東人は養老4年、神亀元年の蝦夷の反乱を経験していたので、争いになるのを避け、蝦夷の動揺が落ち着いてから道路建設事業に取り掛かろうと考えたのでしょう。
■都で天然痘、猛威
ちょうどその頃、京(みやこ)では天然痘の疫病が蔓延(まんえん)して国家の上層部が次々に亡くなっていきます。大宝律令を制定した右大臣・藤原不比等の子の武智麻呂(むちまろ)、房前(ふささき)、宇合(うまかい)、麻呂の藤原四子が天平9年に病死します。
当時の天然痘の猛威は「続日本紀(しょくにほんぎ)」には未曽有の流行だったことが記されています。全人口の3割もの人が亡くなったと推計する人もいます。疫病の流行は大陸から日本の玄関口であった九州北部の大宰府(だざいふ)経由で奈良の京まで広まったようです。現在の新型コロナウイルスの流行と同じように人が動くことで広まったのです。この疫病の流行で陸奥から出羽の道路開削どころではなくなってしまいました。
■大仏の塗金、確保
神亀元年に即位した聖武(しょうむ)天皇は、政変や疫病に悩まされた天皇でした。社会不安を前にした聖武天皇は仏教によりどころを求めます。天平13年、国分寺建立(こんりゅう)の詔(みことのり)を発して全国に国分寺と国分尼寺を建設させました。さらに天平15年、大仏(廬舎那仏(るしゃなぶつ))造立の詔を発して東大寺の大仏建立に着手します。建立が進められる中、大仏に塗金する金が不足して悩んでいたところ、天平21年4月、陸奥国小田郡から産金の知らせが届きます。天皇の喜びは大きく、元号を天平勝宝(てんぴょうしょうほう)と改元するほどでした。陸奥国で産金を指揮したのは渡来人(とらいじん)の陸奥守百済(くだらの)王教福(こにきしきょうふく)です。百済の砂金採取の方法を知っていたのです。
天平勝宝元(749)年5月、陸奥国貢金により陸奥国は3年の調庸(ちょうよう)の税を免除されました。さらに3年後の天平勝宝4年2月、陸奥国のうち多賀以北の諸郡の調庸の税は、黄金を出させることになりました。多賀以北の諸郡全域から砂金が取れた記録はありませんから、諸郡は小田郡の産金地から金を採取するか、交換で金を入手して納めるしかなかったでしょう。もしかすると、小田郡以外にも産金地があったかもしれません。
「続日本紀」天平勝宝5年6月に「(中略)陸奥国牡鹿郡の人、外正六位下丸子牛麻呂・正七位上丸子豊嶋等二十四人、牡鹿連(おしかのむらじ)の姓(かばね)を賜(たま)う」(原文は漢文)という記事があります。石巻地方の丸子氏が天皇から「牡鹿連」の姓を与えられたのです。丸子大国をはじめとして牡鹿郡の最有力在地豪族の丸子氏が国の歴史書に登場した記事として注目されます。この記事が黄金で税を納めるようになった天平勝宝4年の翌年に当たることから、陸奥国の産金事業に何らかの功績があって賜姓(しせい)されたのではないかと考える研究者もいます。
日本遺産に追加認定された金華山詣・金華山道の目的地である金華山は東大寺の資料に陸奥の金産出地と書かれています。小田郡の産金からいつしか金華山に伝承が変わっていったものと考えられます。石巻地方や登米、気仙地方では、奈良時代から明治時代まで金を産出した遺跡がいくつか見られます。まだまだ知られていない金の山が眠っているかもしれません。
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