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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>陸奥国大国造 道嶋嶋足

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配

<地方から貴族に大出世>

 奈良時代、東北出身で大出世する丸子嶋足(まるこのしまたり)が登場する歴史小説が何冊かあります。中でも岩手県の作家・高橋克彦さんの『風の陣』には主人公として活躍が描かれています。歴史小説ではありますが「続日本紀(しょくにほんぎ)」を下地にしていて、とてもワクワクするストーリーです。

 学術研究では、古代東北を代表する嶋足について東北学院大学名誉教授の熊谷公男さんが「石巻の歴史」第6巻などで、詳細に論じています。

丸子(牡鹿連・道嶋宿禰)嶋足の官職などの変遷

■続日本紀に登場

 丸子嶋足が史料に登場するのは「続日本紀」天平勝宝5(753)年8月癸巳条「陸奥国の人、大初位下(だいそいのげ)丸子嶋足に牡鹿連(おしかのむらじ)の姓(かばね)を賜(たま)う。」(原文は漢文)という記事です。2カ月半ほど前に同族とみられる牡鹿郡の丸子牛麻呂・豊嶋ら24人に牡鹿連の姓が賜与されています。嶋足の賜姓(しせい)が遅れた理由について、元法政大学名誉教授の伊藤玄三さんと熊谷公男さんは「嶋足が中央に出仕していたためではないか」と推察しています。地方官に与えられる「外位」ではなく、初めから中央官の「内位」をもっていることからも裏付けられます。

 また、嶋足は「大初位下」の位階を持っています。律令の昇進規定から遅くとも6年前の天平19(747)年頃、奈良の京(みやこ)に授刀(たちはきの)舎人(とねり)(授刀衛(じゅとうえい)という部署の下級役人)として出仕していたと考えられます。

■朝廷有数の武力

 牡鹿連の賜姓から4年後、天平宝字元(757)年、時の権力者・藤原仲麻呂の殺害を謀った橘奈良麻呂の変が発覚します。奈良麻呂方はクーデター決行に際し、坂上刈田麻呂らとともに嶋足を額田部(ぬかだべ)宅に招いて酒を飲ませるように企てていたほど、嶋足は奈良麻呂方から朝廷の有数の武力と見られていました。その7年後の天平宝字8(764)年、藤原仲麻呂(恵美押勝(えみのおしかつ))の乱のとき授刀将曹(しょうそう)であった嶋足は称徳(しょうとく)女帝方につき、鈴印を奪った仲麻呂の息子訓儒麻呂(くずまろ)らを刈田麻呂とともに射殺するという大殊勲を立てました。この功により一躍、従七位上から従四位下に跳躍するとともに「牡鹿宿禰(おしかのすくね)」を賜姓され、京で貴族の仲間入りを果たします。中央官では、五位以上が貴族とされ、六位以下とは年俸や待遇に大きな差がありました。地方出身者で貴族になれる人はほとんどいませんから大出世です。さらに授刀少将に進み、1カ月後には相模(さがみの)守(かみ)をも兼ねることになります。翌、天平神護元(765)年に勲二等を授けられ近衛員外中将(このえいんがいちゅうじょう)に昇進し「道嶋宿禰(みちしまのすくね)」を賜ります。同時に、在地牡鹿郡の嶋足の一族も「道嶋宿禰」を賜っているようです。

 神護景雲元(767)年、陸奥国山道地方の栗原に伊治城が完成すると嶋足は「陸奥(むつ)国大国造(こくだいこくぞう)」となり、陸奥国全般に権力を持つようになります。律令制下の大国造という官職は特殊なもので陸奥国以外には例をみません。神護景雲3年3月、大国造道嶋宿禰嶋足の申請によって陸奥国南端の白河郡から玉造・新田・牡鹿などのいわゆる黒川以北十郡にかけての陸奥国全域にわたる豪族が、一括して改賜姓されました。

 また、宝亀元(770)年8月、蝦夷の宇漢迷公宇屈波宇が一、二の同族を率いて必ず城柵を侵すといって徒族を率いて賊地に逃げ帰ったので、事実関係を調査するため道嶋宿禰嶋足を陸奥に派遣しています。熊谷公男さんはこのような記事から「道嶋嶋足は陸奥国の非蝦夷系の諸豪族に対しては無論のこと、蝦夷系の豪族に対しても、陸奥国司をしのぐほどの権威を有しており、彼らの要望を中央政府に取り次いだり、逆に中央政府の意向を受けて現地で調停役をはたすこともあったということになる。大国造という特異な官職は、このような地域社会における嶋足個人の卓越した権威を法制化したものとみる…(中略)…東北出身者としては他に例をみない、中央官人としての地位の高さに由来している…」としています。

 嶋足が最後に史料に登場するのは、「続日本紀」延暦2(783)年正月乙酉条の卒伝(そつでん)記事(亡くなった個人を顕彰する記事)です。卒伝には「正四位上道嶋宿禰嶋足卒(そつ)す。嶋足は本姓牡鹿連。陸奥国牡鹿郡の人なり。体貌雄壮(たいぼうゆうそう)に志気驍武(しきぎょうぶ)にして、素(もと)より馳射を善くす。宝字中に授刀将曹に任ず。八年、恵美訓儒麻呂が勅使を却(こう)せしとき。嶋足と将監(しょうげん)坂上苅田麻呂と詔(みことのり)を奉(たてまつ)りて疾(と)く馳せ、射て之を殺す。功をもって擢(と)られて従四位下勲二等を授け、姓を宿禰と賜ひ、授刀少将兼相模守に補せられる。中将に転ぜらるるとき、本姓を改めて道嶋宿禰を賜う。尋(つ)いで正四位上を加ふ。内厩頭(うちのうまやのかみ)、下総播磨(しもうさはりま)の守を歴(へ)たり」(原文は漢文)と経歴が記されています。東北出身者で卒伝が載ること自体が稀な例なのです。

■東松島市の偉人

 丸子・牡鹿連・道嶋氏の居宅が東松島市赤井官衙遺跡の中にありますから、嶋足も東松島出身といえます。東松島市の偉人として取り上げられる人物といえましょう。

 嶋足の足跡はまだまだあるのですが、今回はこのへんで閉じたいと思います。

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