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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>古代石巻地方の人々

古代陸奥海道地方の氏族地図

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第4部 律令国家の完成と石巻地方の支配

<丸子氏一族、著しい活躍>

 古代の石巻地方にはどのような人がいたのでしょうか。「日本書紀」や「続日本紀(しょくにほんぎ)」などの歴史書などに見える古代石巻地方の氏族についてお話ししましょう。

■史実に多数関与

 古代の文献に登場する石巻地方の氏族は多くはありません。しかし、古代史上注目される事柄に深く関わった人物が多く、また、その系譜や動向も注目される人々です。

 名前を羅列してみると、牡鹿郡では丸子大国(まるこのおおくに)、丸子(牡鹿連(おしかのむらじ))牛麻呂(うしまろ)、丸子(牡鹿連)豊嶋(とよしま)、丸子(牡鹿連・道嶋宿禰(みちしまのすくね))嶋足(しまたり)、道嶋宿禰三山(みやま)、道嶋大楯(おおたて)、道嶋宿禰御楯(みたて)、牡鹿連(道嶋宿禰)猪手(いて)、牡鹿連氏縄(うじなわ)、春日(かすか)部(べ)(武射臣(むさのおみ))奥麻呂(おくまろ)、俘囚大伴部押人(ふしゅうおおともべのおしひと)、真野公穴麻呂(まののきみあなまろ)、小田(おだ)郡では丸子連宮麻呂(まるこのむらじみやまろ)、丸子部建麻呂(まるこべのたてまろ)らがいます。

 今回は、奈良時代前半ごろの丸子氏について説明します。古代牡鹿地方で最も有力な氏族は、東北地方有数の豪族で中央の橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)の変や藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の乱で活躍した「道嶋嶋足」に代表される「道嶋宿禰氏」です。道嶋氏は、「続日本紀」においてその改賜姓(かいしせい)が知られるように、もとは「丸子」氏でした。その後、丸子氏は時を得て「牡鹿連」、「牡鹿宿禰」、「道嶋宿禰」と改賜姓します。

 その一族の活躍は東北の古代史上目覚ましいものがあり、「続日本紀」「日本後紀(にほんこうき)」にたびたび登場しています。日本古代史の研究者で「丸子-道嶋氏」を知らない人はいないほどです。

 牡鹿郡の人と思われる丸子氏で、最初に登場するのは「丸子大国」です。「思われる」としたのは、牡鹿郡の人と明確には記されてはいないからですが、「続日本紀」に記載される記事からみて、おそらく間違いないでしょう。神亀元(724)年3月に海道の蝦夷(えみし)が反乱し、(陸奥国)大掾(だいじょう)佐伯(さえきの)宿禰(すくね)児屋麻呂(こやまろ)を殺害する事件が起きます。

■在地氏族が協力

 翌4月に海道蝦夷を征討するため持節(じせつ)大将軍以下17名が任じられ収拾を図り、11月には征討軍は任を終え帰京しています。翌年正月には持節大将軍以下征夷関係者1696人が叙位されています(「続日本紀」神亀2年閏正月丁未条)。

 そのうち「続日本紀」には14名の名前が記載されていますが、そのほとんどが征夷軍および陸奥国司、鎮守府(ちんじゅふ)の主要官人たちです。その末尾に「外従六位上(げじゅろくいじょう)丸子大国」、「外従八位上国覔(げじゅはちいじょうくにまぎの)忌寸(いみき)勝麻呂(かつまろ)」の外位(げい)2名が記載されています。

 「丸子大国」は牡鹿郡の丸子氏、「国覔忌寸勝麻呂」は陸奥国新田(にった)郡(現在の大崎市田尻付近)の国覔氏と考えられますから、海道地方の在地有力氏族が征討に協力して功績があったものと推定されます。大国の位階からみて、牡鹿郡の郡領(郡の長官)クラスと考えられます。次に丸子大国が登場するのは、「続日本紀」天平勝宝(てんぴょうしょうほう)7(755)年正月甲戌条に、外正六位上丸子大国に従五位下を贈る記事です。海道の蝦夷の反乱から25年で3階昇進しているようです。有位者は一般的に亡くなると1階昇進しますから、前年には亡くなっていたものと推定されます。

■産金事業で功績
 次に登場するのが丸子牛麻呂、丸子豊嶋です。「続日本紀」天平勝宝5年6月丁丑条に「(中略)陸奥国牡鹿郡人、外正六位下丸子牛麻呂・正七位上丸子豊嶋等廿四人、牡鹿連の姓を賜(たま)う」という記事があります。2人が登場するのはこれが最初で最後です。その位階からみて、牡鹿郡の郡領(郡の長官・次官)クラスと考えられますが、丸子大国との関係はよく分かりません。

 天平21(749)年に陸奥国小田郡(現在の涌谷町)から産金の報告が京(みやこ)にもたらされ、天平勝宝4年に東大寺大仏が完成・開眼供養が行われます。さらに陸奥国の多賀以北の税金が金で納めさせられるようになった後の記事ですから、牡鹿郡の丸子氏が産金事業に功績があって、24人もの丸子氏一族が「牡鹿連」の姓を授かったのでしょう。この記事が「牡鹿連」の姓の初見です。蝦夷に与えられる姓は「君(きみ)(のちの『公(きみ)』)」です。牡鹿郡の丸子氏は、はじめから「連」姓を与えられていることから、蝦夷ではなく、移民系の氏族と考えられます。

 続けて登場するのが丸子(牡鹿連)嶋足です。丸子嶋足は丸子牛麻呂、丸子豊嶋らが牡鹿連の姓を賜った2カ月半後、「続日本紀」に「陸奥国人、大初位下(だいそいのげ)丸子嶋足、牡鹿連の姓を賜う」と記載されています。この記録をはじめとして、嶋足は京で大出世を遂げていくのですが、次回詳しくお話ししましょう。

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