(625)校舎より見ゆる泉の名を知らず/夏井いつき(1957年~)
周囲に丘や林のある中学校か高校の校舎であろう。上の階の窓からは泉が見える。泉は緑の中で輝き、遠目に見る生徒にしばしの開放感を与えてくれる。閉ざされた校舎の中で、生徒はさまざまなことを学び吸収していく。しかし、その泉には行ったことがない。行ったかもしれないが名は知らない。名前を覚えることは愛着を持つ…
関連リンク
- ・(624)硝子器は蛍のごとく棚を出づ/山口優夢(1985年~)
- ・(623)ネクタイの柄槍と盾熱帯魚/橋本直(1967年~)
- ・(622)生きてあれば癈(はい)兵の霊梅雨びつしり/佐藤鬼房(1919~2002年)
- ・(621)夏山中祈れば尖(とが)る耳二つ/川崎三郎(1935~1984年)
- ・(620)わが死後へわが飲む梅酒残したし/石田波郷(1913~1969年)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。