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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方>桃生城造営

発掘調査成果を基に想定復元した桃生城のジオラマ模型(石巻市博物館提供)
桃生城政庁内の様子を南から描いたイメージ画。建物や築地塀の配置は発掘調査成果から復元したもの(石巻市博物館提供)

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢

<8000人以上の労力費やす>

 石巻市博物館歴史展示室の古代のコーナーには、石巻の奈良時代を代表する桃生城が大きく取り上げられています。遺跡全体を想定復元した大型模型と桃生城政庁内の様子を描いた図、出土した屋根瓦や土器が展示され、当時の景観を想像させるものです。さらに、展示室床面には桃生城跡政庁正殿の大きさを感じ取れるように建物の柱の位置がマークしてあります。今回はその桃生城についてお話ししましょう。

■蝦夷との境界に

 奈良時代後半に入って中央で藤原仲麻呂が権力を持つと、陸奥(むつの)守(かみ)として仲麻呂の四男藤原朝獦(あさかり)を送り込みます。朝獦は天平宝字2(758)年、政府の方針を受け、国家の版図(はんと)拡大の足掛かりに蝦夷との境界に新たな城柵として桃生城と雄勝城(小勝城)を造営します。

 桃生城跡は、石巻市河北町飯野中山から桃生町太田にかけての北上高地南端の小丘陵上にあります。遺跡の西と南は水田が広がり、北、西、南を北上川が抱き込むように南流しています。律令政府に「水陸万頃(ばんけい)」と称された胆沢地域の蝦夷の地へと続く、北上川下流域の要所に造営されました。

 「続日本紀(しょくにほんぎ)」天平宝字元(757)年4月に不孝、不恭、不友、不順の者を陸奥国桃生と出羽国小勝に移配せよという詔(みことのり)が出され、翌年から桃生城、小勝城が造営されます。天平宝字3年秋には完成し、翌正月、関係者に位階が授けられています。

■争い事なく完成

 「続日本紀」によれば「(中略)陸奥(みちのく)国の按察使(あぜち)兼鎮守(ちんじゅ)将軍正五位下藤原恵美(えみの)朝臣(あそん)朝獦ら、荒ぶる夷(えみし)を教え導きて皇化に慣れ従はしめ、一戦を労せず、造り成すこと既に畢(をは)りぬ。又、陸奥国牡鹿郡に於きて大きなる河を跨()え峻(たか)き嶺を凌(しの)き、桃生(ものうの)柵(き)を作りて賊の肝胆を奪う。(後略)」(原文は漢文)とあり、藤原朝獦らが徳を持たない蝦夷に天皇の徳を教え導くことで争うことなく桃生城を完成させたこと、桃生城は牡鹿郡内の大河を跨えて高い山を凌いで造り蝦夷を仰天させたことが述べられています。つまり、桃生城は牡鹿郡内の北部に造営されたのです。

 桃生城跡は宮城県多賀城跡調査研究所によって10次に及ぶ発掘調査が行われています。また、城柵の西端を通過する三陸沿岸道建設に伴って新田東遺跡の調査が行われ、桃生城跡の一部であることも分かりました。これらの調査から、桃生城は東西約1キロ、南北約650メートルの範囲を築地(ついじ)や土塁で不整形に囲った大規模な遺跡で、8世紀中葉から10世紀前葉ごろまで機能していたことが分かりました。

■多くの遺物、出土

 掘立柱建物、高床倉庫、櫓(やぐら)、竪穴住居、材木塀、区画大溝、築地、土塁など多数の城柵に関係する遺構が検出され、それらの遺構に伴って瓦、土師(はじ)器(き)、須恵器、硯(すずり)、刀子(とうす)、釣り針、鉸具(かこ)、小塔、砥石(といし)、鉄鏃(てつぞく)、鉄釘などの多くの遺物が出土しています。

 屋根瓦や食器を焼いた窯は桃生城近隣の太田窯跡で生産されています。遺跡の中央部には南北70メートル、東西65メートルの範囲を築地で囲った政庁域が配置されています。政庁は瓦葺の正殿、後殿、東西脇殿による国府政庁と同じ構造でした。城柵内部は築地や土塁で西、中央、東の区画に分けられ、多数の住居と小規模建物で構成されています。

 国家事業として城柵が造営されるので、「続日本紀」には天平宝字3年だけでも郡司、軍毅(ぐんき)、鎮兵(ちんぺい)、役夫、馬子に至る少なくとも8180人以上の労力を費やしたことが記載されています。地元牡鹿郡の牡鹿連氏一族も駆り出されたことでしょう。

 他にも桃生城造営前に不孝、不恭、不友、不順の者は陸奥国桃生等に配する記事や造営初期に陸奥国の浮浪人を徴発して桃生城を造営し、調・庸を免除して柵戸とする記事などから、律令制度にそぐわない人々を移住させていることも分かります。

 桃生城は国家施設の軍事基地である城柵として造営されましたが、その内部にいる移住者は浮浪人などの律令制度に従わない人々で構成されていたのです。

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