寄稿>中村哲氏の活動記録映画「荒野に希望の灯をともす」、石巻上映を前に
アフガニスタンなどで農業支援や医療活動に尽力し、2019年に同国東部で殺害された医師中村哲氏の活動を記録したドキュメンタリー映画「荒野に希望の灯をともす」が8月11日、石巻市開成の市複合文化施設「マルホンまあーとテラス」で上映される。上映を前に、郷土史研究家阿部和夫さんが中村氏の精神の源流について一文を寄せた。
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■郷土史研究家 阿部和夫さん
<祖父母から継ぐ生きざま>
映画のチラシは「アフガニスタンとパキスタンで、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた男、医師・中村哲。戦火の中で病を治し、井戸を掘り、用水路を建設してきた。なぜ医師が井戸を掘り、用水路を建設したのか? その答えは、命を見つめ続けてきた中村の生き様の中にあり、私たちはこの映画で中村が生きた、その軌跡をたどることになる」と説明している。
谷津賢二氏が21年にわたり継続的に撮影したものを自ら監督を務め90分の映画にまとめ上げた。
監督は「人は他者とどう関わるのか、他者のためにどう生き、どう働くのか、そして亡くなっていったことを踏まえてこの映画を創った」と語る。私はこの映画を見ていろいろと考えさせられた。同じように中村氏の精神に共感した人たちが集まって上映実行委員会が作られた。
委員全員の共通した思いは、この映画を石巻で上映して是非たくさんの人たちに見てほしいというもの。私もその一員だがさまざまなことを勉強させてもらった。中村氏は火野葦平の小説「花と龍」の主人公玉井金五郎、マン夫妻の孫(火野葦平は伯父に当たる)であるということを知り驚いた。
この小説は、1952(昭和27)年4月から1953年5月まで、読売新聞に連載された。中学2年生の私もそれを読んでいた。今回、中村氏がこの小説の玉井家の家系につながると知り、70年ぶりに読み返してみた。
玉井金五郎は九州の若松で沖仲士(おきなかし)(艀(はしけ)と本船の間で荷物の上げ下ろしをする人)の生活向上のため組合結成のために努力する。周囲の誤解や無理解にくじけず、裏切りや屈辱の境遇にあっても、人としての品位、矜持(きょうじ)を守り続ける金五郎、それを支え続ける妻のマンとの家庭の歴史が描かれている。読んでいて中村氏はこの祖父母の人生観に多大な影響を受けていると強く感じた。
中村氏の母親は玉井金五郎、マン夫妻の三女秀子だ。彼女は女学校卒業後、自宅で家事手伝いをしていた。そこで父金五郎と政治的に共鳴し玉井家に出入りしていた中村勉と出会う。その2人が恋愛をして結婚して生まれたのが中村氏だ。
中村氏の父親勉は、金五郎の長男勝則(後の火野葦平)の結婚でも力を発揮する。勝則が芸者光丸(本名良子)と恋愛した際に、友人等により「勝則・光丸結婚期成同盟」というグループを結成。中村勉はその参謀長格であり、仲間と協力し合って、困難視されていた二人の結婚を実現させた。
中村勉は「一つの事業をなすためには、組織が必要だ」と言う信条を抱いていた。
中村氏は、このような父親と、玉井金五郎、マン夫妻の娘を母親として育てられた。彼は祖父母、さらに両親から引き継がれた「人の役に立つ人間」であることへの揺るぎない意思を身に付けて、それを実践して人生を生き抜いたのだと思う。
「百の診療所より一本の用水路を」と挑戦した中村氏を描いたこの映画から、私たちはさまざまなことを考えさせられる。それが何であるのかは、映画を見て皆さん自身で確かめてほしいと願っている。
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映画「荒野に希望の灯をともす」は8月11日の山の日に石巻市開成の市複合文化施設「マルホンまあーとテラス」で上映される。18時半から4回目の追加上映も決定した。問い合わせ先は実行委070(2324)1381。
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