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多角化失敗、震災…「もう駄目だ」エムシスの44歳社長がどん底から得た経営の神髄は?

 新型コロナウイルス下、空いた一等地の物件に次々と新店を出すなど、攻めの経営で上昇気流に乗る飲食業のエムシス(仙台市)。陣頭指揮を執る滝川真雄社長(44)に自身の歩みや大事にしている経営の要点などを聞いた。(報道部・大泉大介)

アルバイトが原点

 ―飲食業との出会いは。

 「国士舘大時代、東京・多摩市にあった自宅アパート近くのとんかつ店で4年間、アルバイトをしたのが原点。趣味のサーフィンを始めるきっかけにもなった年齢が二つ上の店長が、『独立して自分のバーを持つのが夢』などと話すのを聞くとはなしに聞いていた。自分は卒業後の進路にこれといった希望もなく、まともに就職活動もしなかった。教職と消防士の資格は取っていたが興味はなかった。4年生になり、いよいよ進路を決めなければならなくなった夏、ふと思ったのが店長にすり込まれた『飲食店の経営者になる』だった」

 ―そのために何を。

 「修業が大事と考え、大学4年生後半の半年間、当時有名だった東京のレストラン『グローバルダイニング』でフリーターとして働いた。卒業後は仙台に戻り、店を二つ持っていた飲食会社に入社した。東京での経験を買われてすぐに会社のナンバー2に登用され、社長の下で約2年半、飲食店経営を学んだ。その後、東京の飲食店が仙台に店を出すというので声をかけられて転職した。そこでも2年半経験を積んだ」

ガールズバーで成功

 ―学生時代のアルバイト経験から数えて計4社の飲食店に勤めた。

 「調理こそしなかったが、レストランのホールを任されて日々接客に奔走した。社会人として2社目に勤めた会社では、居酒屋1店を店長として任され、売り上げを前任者の7倍に伸ばした。それで信用を勝ち取り、2店目を任された。ただ店の広さは10坪と狭く、試算すると居酒屋として利益を出すには客単価5000円が必要だった。居酒屋のままでは難しいという印象を持った」

 「そこで独立に向けて構想を温めていた『ガールズバー』にトライすることにした。当時大阪で流行し、仙台にはまだなかった業態だった。社長の了解を得て予算を割いてもらい、自分のイメージ通りの店を作ってもらった。女性がカウンター越しに接客し、何を飲んでも1杯500円という手軽さが売り。営業時間もスタッフの採用も店名も、全部自分で決めさせてもらえた。右も左も分からない中だったが、結果的にはがっちり売れた。月に100万円を超える利益が出で、社長にも喜んでもらった」

 「独立を考えるようになり、社長に『ご迷惑をかけないように古里の盛岡でガールズバーをやりたい』と打ち明けると、『それは構わないが、今やっている2店舗の運営も続けてほしい』と言われた。結局、受託運営という形で2店を引き受け、変則ながら独立時から3店舗体制という形で起業した。2007年3月、27歳の時だった」

 ―結果は…

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