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関東大震災100年 石巻の佐々木さん、写真資料や地図公開 来月3日まで

公開されている資料と佐々木さん
在郷軍人会志田郡連合分会の支援活動をたたえる現認書

 1923年9月1日に発生し、火災や津波などで10万人以上が犠牲になった関東大震災から今年で100年になるのを前に、石巻市北村の佐々木慶一郎さん(76)は、自宅で当時の被災状況を伝える写真資料などを公開している。9月3日まで。

 震災から間もない23年9月15日に発行された写真集「関東震災画報」(大阪毎日新聞社発行)やその後の復興の様子を伝える東京駅周辺の地図などが展示されている。写真集は1ページずつに分けられ、クリアファイルに入れて展示している。丸の内付近の猛火、焼け出されて竹林で夜を明かす人々、浅草仲見世の惨状などが見て取れる。

 当時、宮城から現地に赴き、主要駅で食料や物資の積み降ろしや交通整理、乾パンの配布などに当たった在郷軍人会仙台支部志田郡連合分会の功績を認め、感謝を伝える「現認書」の実物も展示されている。

 連合分会は新沢順吉陸軍中尉を団長に、当時の三本木町や鹿島台村など志田郡在住の退役軍人ら117人で構成。田端、日暮里、巣鴨などの駅で9月15日から23日まで任務に当たった。

 展示品には、出発に当たり仙台の第二師団から出された「団員心得」もある。震災直後、現地では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマが飛び交い、自警団などによる虐殺があった。心得は「流言飛語に惑わされるな」「朝鮮人全てが不良にあらず」などと慎重な行動を求めている。連合分会の資料は新沢家から借り受けた。

 佐々木さんは「桃生郡がコメ7500キロを送り、石巻からは33人の大工、鍛冶職人らが義勇団として現地に向かった。無声映画時代の岡田劇場が入場料を支援に寄付した」など石巻地方からの支援状況も紹介する。

 現認書の現物展示は31日まで。以降はコピーを展示する。見学は事前予約が必要。連絡先は0225(73)4057。

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