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双葉町 再生の道へ踏み出す住民を訪ねて 若手記者取材後記

始発列車で通勤する人(左)にインタビューする記者=8月30日午前6時半ごろ、JR双葉駅

「当たり前の暮らし」大切さ伝えたい 池田旭

 駅周辺でも人は少なく、日が落ちると、一層静まりかえる。町の面積の85%が依然として帰還困難区域となっており、学校や娯楽施設はない。

 田舎暮らしが長い私でも、今の双葉町には不便さを感じる。と同時に、不自由を感じない今の暮らしのありがたさに気付く。

 「今、町に求めることはない。家族との普通の生活が幸せ」。話を聞いた住民の一言だ。帰還開始から1年。11年ぶりに戻ってきた人の本心だと感じた。

 寂しい町だと思っていたが、住民は日常に感謝しながら一歩ずつ前に進んでいる。復興の道のりは長い。町の進化を見届けていく中で、当たり前の大切さを伝え、震災を考えるきっかけを作っていきたい。
(報道部・池田旭)

逆境の中、生きる人の強さ知る 岸菜々美

 原発事故前、双葉町民は豊かな自然に囲まれ、暮らしていた。夏は海水浴場に人々が集い、春には河川敷に咲く何百本もの山桜が圧巻の眺めを演出していたという。

 人けが少なく、雑草が生い茂る土地を眺め、原発事故前の町の姿を想像する。日常が失われる残酷さにやりきれなさが募った。

 まちづくりに携わる祓川正道さんに、再興を諦めそうになる瞬間はないのかと尋ねると、「できないと決めつけず、一歩一歩前に進みたい」との答え。逆境の中で生きる地元の人の強さを感じた。

 元町民、移住者、観光客。それぞれの形で双葉とつながる人々が思いを寄せ、復興を後押しする。取材前は寂れて見えた町並みが心なしか明るく見えた。
(報道部・岸菜々美)

駅の利用客に取材する記者(左)=8月30日午後6時50分ごろ、JR双葉駅

希望や苦悩を思い、できること考える 高橋杜子

 12日、田中豊さんに会うため再び双葉町に赴いた。案内してもらったのは実家があった海沿いの中野地区や、双葉町から浪江町にかけての海岸。整然とした双葉駅周辺とは対照的な光景が広がっていた。

 安心して戻れる環境ではない。いまだ整備されない荒れ地や倒壊したままの家屋を見るにつけ「早く住民がたくさん戻るといいですね」などと安易に言えない現実を知る。

 町を盛り上げようと県外からも多くの人が訪れるというが、住民が望む取り組みだけではないという。初めて双葉町を訪れた私もその1人になっていないか。住民の希望や苦悩を十分に想像し、これから自分に何ができるのかを考えたい。
(生活文化部・高橋杜子)

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