(716)宵闇や手を泳がせて子が走り/山西雅子(1960年~)
日が沈んでからしばらくは明るさが残りますが、少しずつ闇が近づいてきます。季語の宵闇はさらに、月の出を待つ時間帯です。子どもが元気に走っていますが、両手を泳がせるように動かしています。泳ぐという比喩を使うことで、読む私たちは水の質感を思い出します。連想される水の冷たさや重さが宵闇へと付け加えられ、秋…
関連リンク
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「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。