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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方 >陸奥海道地方最大の須恵器生産地 4

9世紀後半の須恵器窯跡分布と焼成された須恵器(関ノ入遺跡3号窯跡出土)(河南町文化財調査報告書第4集を改変)
関ノ入遺跡2号窯跡の調査状況(左の全景)と須恵器焼成部の拡大写真(窯内に不良品や焼き台の須恵器が多数残されている)

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢

<災害復旧で生産拡大?>

 奈良時代後半(8世紀後半)に操業が開始された須江窯跡群は、古代東北最大の豪族である道嶋氏の住む牡鹿柵・郡家に瓦や須恵器を供給するばかりでなく、奈良時代の終わり頃(8世紀後葉)には道嶋氏にゆかりの深い栗原市伊治城にも供給していることが分かりました。さらに、平安時代初め(8世紀末~9世紀初め)に新たな技術を持った工人が招聘(しょうへい)され、9世紀前半まで関ノ入遺跡で須恵器生産が維持継続されます。

■窯の構造が転換

 8世紀後半から9世紀前半頃までは、須恵器を焼く窯の数も少なく、牡鹿柵や田道町遺跡を中心に、必要に応じて生産している状況でした。ところが9世紀後半に入って、須江窯跡群の須恵器生産が大きく転換します。新たに須恵器工人が招聘されたのです。

 9世紀後半に招聘された工人は、地下式窖窯(あながま)という構造の窯を使う工人でした。それまで斜面を溝状に掘りくぼめて細い木材や粘土で天井をつくってトンネル状にする半地下式という窯を使っていましたが、新たな地下式の窯は斜面をトンネル状に掘り抜く構造です。焼き物を焼く窯の構造は工人の系譜によって異なりますから、新たな工人が持ち込んだものです。この地下式窖窯の構造だと、一つの窯で複数回須恵器を焼く場合、天井をつくる手間をだいぶ省くことができ、効率的です。ただ、全国的には地下式から半地下式へ変化するので、須江窯跡群は全国の変化に逆行しています。

 9世紀後半以降、須江窯跡群ではこの地下式窖窯の数が一気に増加します。窯の分布範囲も須江丘陵北端の須江糠塚遺跡、中央の瓦山窯跡、細田遺跡、南部の代官山遺跡、関ノ入遺跡といった丘陵のいたるところで生産を開始するのです。

■作る種類も変化

 工人の作る須恵器の種類も変化しました。9世紀前半までは、坏(つき)、椀(わん)、高台付(こうだいつき)坏、高台付椀、双耳(そうじ)坏、蓋(ふた)、長頸瓶(ちょうけいへい)、短頸壺(たんけいこ)、甕(かめ)、鉢など豊富な種類を焼いていましたが、9世紀後半以降は坏、広口瓶(ひろくちへい)、甕、鉢のみに減少しています。限定した種類の器を大量に生産しているのです。

 須江窯跡群で最初に行われた本格的な発掘調査は、1987年の河南東中学校建設に伴う須江糠塚遺跡の調査です。現在の河南東中学校の敷地内から古墳時代前期の集落と9世紀後半から9世紀末の須恵器を焼いた窯が6基発見されました。

 「須江」の地名の由来を決定づける発見でもありました。続いて須江丘陵南部のしらさぎ台団地、工業団地造成に伴う発掘調査が行われ、私も調査担当者の一人となりました。

 私が須江窯跡群で調査した須恵器窯は20基ほどありますが、そのほとんどが9世紀後半~10世紀前葉のものです。当時、いろいろな時代の窯を調査したかったのですが、須江窯跡群で新たな窯を調査するたびに同じ構造の同じような器を焼いた窯だったので「また9世紀後半の窯か」とちょっと残念に思ったこともありました。しかし、須江窯跡群の研究を進める中で、いろいろな謎が浮かび上がり、楽しみも増えていきました。

 その謎の一つが、なぜ9世紀後半に爆発的に須恵器生産を拡大するのかというものです。この謎には、なかなか答えることができないでいました。

 それまで須江窯跡群の生産開始や流通に大きな影響を及ぼしていた道嶋氏が9世紀前葉を最後に歴史書に登場しなくなり、本拠地であった赤井官衙(かんが)遺跡も同じ時期に姿を消してしまいます。9世紀後半には、道嶋氏の影響が考えられないのです。

■貞観地震で損害

 しばらくこの問題を抱えたまま別の研究を行っていましたが、最近、ようやくヒントが頭をよぎりました。9世紀後半の重大事件である「貞観地震」です。東日本大震災の際によく取り上げられた貞観11(869)年の地震は、平安時代の陸奥国に多大な損害を与えました。特に津波の押し寄せた記録の残る多賀城城下ばかりでなく、牡鹿地域も大災害を被ったはずです。

 9世紀後半の須江窯跡群での須恵器生産の大拡大は、災害復旧・復興に原因があったのかもしれません。この謎の解決にはもう少し厳密な証拠を集める必要があります。

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