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発掘!古代いしのまき 考古学で読み解く牡鹿地方 >平安末期の石巻地方

水沼窯跡から出土した袈裟襷文を描いた陶器(石巻市教委提供)
石巻市水沼窯跡から発見された陶器を焼いた窯                          (石巻市教委提供)

【東北学院大博物館学芸員・佐藤敏幸氏】

第5部 律令国家の蝦夷支配と軋轢

<突如出現、「水沼窯跡」>

 延暦24(805)年、桓武天皇が参議の藤原緒嗣(おつぐ)と菅野真道に討議させた徳政相論(とくせいそうろん)によって蝦夷征討と平安京造都が停止されることになりました。征夷も弘仁2(811)年、陸奥出羽按察使(あぜち)、文屋綿麻呂(ふんやのわたまろ)が爾薩体(にさつたい)、幣伊(へい)の蝦夷を討ったのを最後に、桃生城襲撃からはじまった38年に及ぶ戦争は終焉(しゅうえん)を迎えます。

 その後も出羽国を中心に元慶(がんぎょう)の乱といった蝦夷の反乱がありますが、陸奥側では大きな反乱は起きていないようです。岩手県域まで郡が置かれて律令国家の版図となります。

■2度の自然災害

 その後、陸奥国は2度の自然災害に遭遇します。一つは貞観(じょうがん)11(869)年に発生した貞観地震、もう一つは915年頃に起きた十和田山の大爆発です。

 貞観地震は、東日本大震災の時によく取り上げられた、1000年前の大地震として有名です。「続日本紀(しょくにほんぎ)」に陸奥国からの報告として、多賀城下まで津波が押し寄せたことを載せています。

 石巻地方の記録はありませんが、現在より海岸線が内陸にあり防潮堤も造られていませんから、かなり内陸まで津波が押し寄せたと考えられます。9世紀後半の石巻地方は丘陵部を中心に集落が広範囲に認められ、須江窯跡群では貞観地震後に須恵器生産がより活発になります。

 915年頃、青森県と秋田県にまたがる十和田山が噴火し、広範囲に火山灰を降下させます。その範囲は宮城県域まで広がっています。遺跡を発掘調査すると、灰白色の火山灰の層が窪地に堆積して発見されます。地質学・火山学では「十和田A火山灰」と呼ぶものです。石巻地方にも広く降下したこの火山灰によって、農作物が収穫できなくなったと考えられます。

 この10世紀前半の火山灰降下後、宮城県域では遺跡の数が激減してしまいます。朝鮮半島の白頭山が10世紀初頭に噴火して日本海側の出羽国まで火山灰が降下しています。極東アジアで火山活動が活発だったのです。

■戦乱時代に突入

 平安時代の後期、11世紀に入ると東北地方は戦乱の時代になります。天喜(てんき)4(1056)年~康平(こうへい)5(1062)年の前九年(ぜんくねん)合戦では奥六郡(おくろくぐん)の司(つかさ)と言われて北上川中流域に勢力を持っていた安倍頼時・貞任親子と陸奥守・鎮守将軍の源頼義が戦い、永保(えいほ)3(1083)年~寛治(かんじ)元(1087)年の後三年(ごさんねん)合戦では清原氏一族の争いに源頼義の子の八幡太郎(源)義家が介入して戦争になりました。清原氏一族の清衡が生き残り奥州藤原氏の初代となります。

 石巻地方には安倍貞任や源義家の伝説が多く残されていますが、遺跡の発掘調査は行われておらずよく分かっていません。石巻地方ばかりでなく、宮城県域全体を見ても、10世紀後半から11世紀の遺跡が少なく、発見される遺構・遺物がほとんどないのです。考古学からは謎に満ちた平安時代後期になっています。

 平安時代中期以降、社会も大きく、変化して、律令制度が崩壊していきます。税を逃れ安定した生活を送るため土地を大貴族や寺に寄進して荘園(しょうえん)が広がっていきました。石巻地方では荘園はよく分かっていませんが、「保(ほ)」という行政単位が生まれています。旧河南町、矢本町、鳴瀬町の範囲が「深江(深田)保」(後に深谷)と呼ばれるようになります。

■渥美窯工人来る

 石巻地方で遺跡がよく分からない10世紀後半から11世紀の後、突如として出現するのが石巻市水沼地区の水沼窯跡です。昭和58(1983)年に調査された水沼窯跡は12世紀前葉の陶器を焼いた窯跡で、愛知県渥美半島の渥美焼で著名な袈裟襷文(けさたすきもん)を描いた壺(つぼ)を焼いていました。渥美窯の工人が石巻に来て焼き物を作ったのです。

 水沼窯の製品は多賀城市新田遺跡から青森県白狐遺跡まで広がっていて、特に多いのは岩手県平泉です。奥州藤原氏が栄華を極めた時代、藤原氏が愛知県から工人を招聘(しょうへい)して石巻で焼かせたものと考えられます。北上川をさかのぼって平泉まで焼き物を運ばせたのです。石巻が平泉の海の玄関口であったことが分かります。

 平安末期に栄えた奥州藤原文化も源頼朝によって滅ぼされ、石巻地方を含めて鎌倉御家人の所領となって鎌倉・室町時代の武士の時代へと続いていくのです。

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