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女川・出島、悲願の架け橋 開通へ(5) なりわい 効率向上、担い手確保も

ギンザケのいけすに機械で餌をまく範光さん。橋の開通で浜ににぎわいが戻ることを期待している

 「橋が使えるようになれば確実に仕事が楽になる。自分たちのペースで水揚げができるから、高齢の漁師には特にいい」。女川町の出島でギンザケを養殖する須田範光さん(76)は、橋の開通を心待ちにする。

 出島は町内の漁獲量の4分の1を占める沿岸漁業の拠点だ。黒潮の影響を受ける比較的温暖な気候で、ギンザケやワカメ、ホタテの養殖業が盛ん。特にギンザケは全国生産量の4分の1を水揚げする。

 範光さんによると、東日本大震災では養殖のいかだやいけすが津波で流失したが、漁船の被害は免れた漁業者が多かった。「復旧してすぐに仕事をしよう」と立ち上がり、浜の仕事から離れた人は少なかった。

■沿岸漁業の拠点

 島の漁師の多くは震災前から、対岸の尾浦漁港で水産物を水揚げし、魚市場などに陸送してきた。橋が開通すれば養殖場から近い島の港で水揚げして陸送することが可能になる。漁具の手入れに割く時間が増えるなど効率が格段に上がるという。

 尾浦の漁業者には長年、漁船や車を港に止めさせてもらうなど助けられたという。出島架橋促進期成同盟会会長で、出島で釣り船を営む須田勘太郎さん(83)は、利用客の出迎えに尾浦漁港を利用することも多かった。「長い間漁港を利用させてもらった。地域を代表し、ありがとうと伝えたい」と感謝する。

 橋の利用開始を待ち望むのは、本土や石巻市内に移った島出身者も同じだ。範光さんと親子でギンザケを養殖する長男尚道さん(47)は、高校生の長女と小学生の息子2人を育てる。震災後、子育てを考えて市内に自宅を再建した。現在は尾浦に車で通い、漁港から船でギンザケのいけすに向かう。

 「島に学校があれば、ずっといるつもりだった」と尚道さん。「尾浦まで来ても、しけで船が出せなければ仕事ができない。橋が使えて船も島にあれば、いけすに行けなくても網の点検など他の仕事ができる」と利点を語る。

■「通い漁業」に期待

 島で漁業を営む県漁協の正、準組合員数は震災前の2010年が148人だったのに対し、23年4月時点は70人と半減した。

 橋の存在が担い手不足を解消し、にぎわいを取り戻すきっかけになってほしい。浜ではそんな声も多く聞かれる。範光さんは「水産業は力仕事が多い。橋が通れるようになれば、学生ら短期のアルバイトの力も借りやすくなる」と期待する。

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