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女川・出島、悲願の架け橋 開通へ(4) 防災 島民の孤立を防ぐ命綱

防災訓練でヘリコプターから降り、バスに乗り換える出島の島民ら=2022年10月、石巻市の曽波神公園

 女川町の出島に架かる橋は大規模災害時、島の孤立を防ぎ、島民の避難を助ける命綱となる。東日本大震災では津波に襲われて港が使えず、住民はヘリコプターで島外へ逃れた。陸路がつながれば、海路や空路より天候に左右されないルートを確保できる。

 島内の寺間地区の行政区長、須田菊男さん(74)はあの日、石巻市からワカメの塩蔵作業に使う塩を運んでいた。帰り道で揺れに遭い、女川町内の高台にトラックを止めて夜を明かした。3日後に島の対岸の尾浦地区に歩いて向かい、知人の船で島に戻った。港は壊滅状態になっていた。

■震災で離散加速

 1960年のチリ地震津波も小学生の時に経験した。海の近くにあった自宅が床上浸水したが、波の勢いは弱かった。震災の津波は比べものにならなかった。

 町によると、出島では診療所や保育所を含めて約440棟あった建物の8割以上が流失した。被災者の希望に応じて災害公営住宅が出島、寺間の両地区に整備されたが、島の生活を諦めて本土の町内や石巻市に移り、「おかに上がった」住民も多い。

 人口は当時の5分の1以下に減った。須田さんは「橋があれば、ここまで島民がばらばらにはならなかった。人口は少しずつ減っていたが、震災で随分早まってしまった」と話す。

■再稼働の備えに

 島南端から約5キロの距離には東北電力女川原発(女川町、石巻市)があり、対岸にその姿がはっきりと見える。原発建設が始まったのは出島架橋促進期成同盟会の設立と同年の79年。直前には米スリーマイル島の原発事故が起き、原発の安全性への不安が国内でも広がっていた。

 震災後に全3基が停止した女川原発は、今年5月に2号機の再稼働を予定する。2022年10月に県と原発30キロ圏内の市町が開いた防災訓練では、須田さんら島民が空路避難を体験。ヘリコプターで石巻市の曽波神公園へ向かい、バスに乗り換えて避難先の栗原市へ向かった。

 重大事故時は海路や空路での避難が想定されているが、天候によっては島内にとどまらざるを得ない。橋の開通に伴い、町は広域避難計画に陸路での避難を反映させていく方針だ。

 橋は避難だけでなく、島外からの救援ルートにもなる。須田善明町長は「急病人も含め、橋があれば救えたかもしれない命が今までたくさんあった。橋は確実に島民の安心につながる」と期待する。

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