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3.11 あの日まで、あの日から 「石巻かほく」の地震、津波記事2010~13年

 東日本大震災の発生後、3月11日は特別な1日になった。震災があった2011年前後の年の3・11にはどんな記事が載っていたのか。10~13年の「石巻かほく」をめくった。震災前の紙面にも地震、津波の記事があり、震災後は復興に向けて動き出した石巻地方の姿を伝えていた。一部の記事を紹介する。

2010年 震災前年にはチリ津波 

震災から約1年前の2月28日にはチリ地震大津波が発生した。石巻市鮎川で80センチの津波を観測するなど東北の太平洋沿岸に押し寄せ、水産業を中心に甚大な被害が出た

 伊藤克彦副知事は10日、石巻市の県漁協を訪れ、チリ大地震津波による養殖施設の被害状況を調査した。漁業者から強い要望が出ている破損した養殖施設の廃棄処理や海底に沈んだ施設の回収について、伊藤副知事は「本年度の緊急予備費投入を早急に検討したい」と県費での対応を示唆した。

 石巻市は10日、チリ大地震津波養殖被害対策本部の会議を開き、被害概算を報告した。養殖いかだなど施設被害は約4億円、カキ、ノリ、ワカメなどの水産物被害は約7億円で、合計の被害額は11億円に上ることが明らかになった。

2011年 2日前にも地震と津波

2011年3月9日にはマグニチュード7.3の大地震があり、津波による養殖被害が再び繰り返された。ただ、これが前震で、この日の午後に未曽有の震災に遭うことを想像した人はいなかった

 三陸沖を震源とする9日の地震で起きた津波は、県漁協の雄勝湾、谷川、鮫浦3支所の養殖いかだに被害を与えた。中でも雄勝湾がひどく、ホタテを中心とした養殖いかだ計85台が破損。雄勝湾支所は同日、津波被害対策本部を設置し、被害状況の把握とともに復旧資材の提供などで支援していく。

 被害は、10日に実施した雄勝湾支所などの調査で明らかになった。同支所によると、養殖いかだのおおむね70%以上が損傷した「大破」が4台、同50%以上の「中破」が12台、同30%以上の「小破」が69台あった。

2012年 72漁港の復旧状況を報道

三陸河北新報社は、震災から1年が経過した石巻地方の漁港の被害や操業再開の現状を調査した。多くが被災した漁船数は震災前の37%に回復。漁協組合員で漁業再開にこぎつけたのは40%にとどまった

 黒潮と親潮が出合う世界三大漁場が目の前に広がる石巻地方。リアス海岸は、その入り組んだ地形により多くの天然の良港を抱えている。しかし、その浜は昨年の東日本大震災でほとんどが壊滅状態となった。あれから1年、石巻地方の72の漁港はどうなっているのか。主に地元の漁船が利用する「地元の浜」(1種、2種漁港)を調査した。

 調査の結果、各浜は70センチから大きいところで1.3メートルも地盤沈下し、防波堤の多くが全損に近い被害を受けた。岸壁が崩壊した所も多い。外洋にあった養殖施設はほぼ流失した。

2013年 住宅の再建事業が本格化

震災から2年がたち、石巻市の防災集団移転促進事業が動き出した。全50カ所のうち鹿立、鮫浦、名振など9カ所が着工。東松島市でも初の災害公営住宅起工式があり、石巻地方の住宅再建が本格化した

 石巻市の半島部で行われる防災集団移転事業と、東松島市第1号の災害公営住宅起工式が10日、それぞれの現地で行われた。東日本大震災から2年、自宅を失い仮住まいを続ける被災者が待ち望んだ復興事業の開始。式典の出席者は、安心して暮らせる日への思いをかみしめながら工事の安全を祈った。

 防災集団移転促進事業の起工式は石巻市鹿立であった。亀山紘市長は「着工の日を迎えることができ、被災者の暮らしを取り戻す大きな一歩を踏み出した。早期完成を目指していく」と力を込めた。

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