(855)木になりて春の鳥どち宿したし/中嶋鬼谷(1939年~)
ままならない現実が嫌になって、木や鳥や猫になりたいなんて思うことがあります。人の持つ複雑さや気持ちの浮き沈みをどこかに置いて、気楽な自然界の存在に心を託すのです。この句では木になり、さらに鳥たちをその身に宿したいと詠んでいます。「鳥どち」とは「鳥たち」を指す言葉です。物言わぬ木になりたいという静か…
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- ・(850)九つはさびしい数よ鳥雲に/今井杏太郎(1928~2012年)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。