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滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第1部・震災編(8) 石巻魚市場、現地再建 本格的な復興へ

新しい石巻魚市場が全面運用を開始し、初競りが行われた=2015年9月1日

 2015年秋、現地再建を進めていた新しい石巻魚市場が完成し、全面運用を開始した。ここまで来ることができたのは、東日本大震災後に石巻水産復興会議を引っ張ってくれた伊妻壮悦代表や、水産加工団地のかさ上げといった行政などへの要望活動を一緒に行った石巻商工会議所の浅野亨会頭(当時)らの存在が大きかった。

 復興会議とは別に、業界の将来を考えるワーキンググループもあった。「山徳平塚水産」の平塚隆一郎社長と「米貞商店」の米本貞之社長らが精力的に活動し、業界の横のつながりが広がらなければ復興は進まなかっただろう。

 津波で全壊した魚市場は、震災4カ月後の11年7月に簡易テントで水揚げを再開。再建工事は13年8月から進め、14年8月には東棟と中央棟東部分の利用を開始した。

 設計については、都市再生機構(UR)が被災地での住宅の高台移転などに「アットリスクCM方式」を活用していると新聞で知り、魚市場の建設に取り入れれば早期完成につながるのではないかと石巻市に提案した。

 市からは当初、公共建築工事では前例がないという答えだったが、検討してもらった結果、この方法が採用されることになった。

 また、市場は市の所有だが、使用者の立場から管理棟と立体駐車場を連絡通路でつなぐことをお願いした。震災前の魚市場時代、市場前の道路で交通事故が数回あったからだ。関係者や見学者らが道路を渡らず、安全に来られるようにしたいという思いがあった。

 新魚市場は鉄骨一部4階で、延べ床面積は約4万6000平方メートル。荷揚げ場の延長876メートルは「日本一」とされた震災前の650メートルを上回り、全国でも最大規模を誇る。

 日本や海外でも珍しい大規模な市場という点以外にも、閉鎖型の高度衛生管理を導入した最新鋭の施設となった。

 従来の市場は開放型で、水揚げされた魚の上を海鳥が飛び交ったり、構内をトラックが走ったりしていた。壁やシャッターなどで外と遮断し、鳥や排ガスなどの進入を防いだ。

 内部も空調で温度や湿度を管理。巻き網船、底引き網船、定置網船など漁業種によって荷さばきゾーンを設定した。水揚げした魚を安全に素早く出荷し、商品価値の向上につなげる目的があった。

 魚市場が再建されたタイミングで、一気に新しいやり方に切り替えることは現実的に難しい。フォークリフトを排ガスを出さない電動式に切り替えるなど、段階的に衛生管理のレベルを上げることにした。

 そして、国際的な食品衛生管理方式「HACCP(ハサップ)」にも対応した。震災に関係なく、20年ほど前から必要になるだろうという考えは持っていた。

 外国では魚食や和食が健康に良いと評判で、ブームになっていた。日本は人口減少で国内のマーケットも縮小傾向にある。認証を受ければ海外進出への強みになると思っていた。

 新魚市場の全面運用が始まった日、西棟中央入札場であった式典には関係者約200人が集まった。私はあいさつで「やっとスタート台に乗った。この施設をどう上手に使うかが重要。国際水産都市を目指し、まずは地元住民にも訪れてもらえる市場にしたい」と抱負を語らせてもらった。

 当時は達成感というよりも、ここからがスタートだという感覚だった。付加価値の高い水産物を出荷し、水産業の本格的な復興を目指すと思いを新たにした。

(第1部震災編は今回で終了します)

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