滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第1部・震災編(7) 放射能と風評被害対策、終わりなく
2011年3月に立ち上げた石巻市水産復興会議は、水産業界の早期復旧・復興につなげるため、最低でも月2回以上は集まるようにしていた。業界の再建には国の全面的支援が必要なのは言うまでもない。自分たちの要望を実現するために、行政に先駆けて自分たちが主体的に計画を打ち出していくのが趣旨だった。
当時の執行部には石巻魚市場買受人協同組合の布施三郎理事長、石巻冷凍協議会の津田利行会長、県沖合底引き網漁業協同組合の鈴木広志組合長らがおり、各組合員らの意見を集約。水産業だけでなく、石巻商工会議所の高橋武徳専務理事にも加わってもらった。
復興会議では各事業所や冷凍・冷蔵庫に残っていた腐敗した魚を処理する「倉内処理部会」、早期の水揚げ再開を進める「水揚げ部会」、東日本大震災後の水産加工団地の在り方を考える「水産加工団地部会」を編成し、課題解決に動いた。
復興会議を続けていく中、2012年に入ると東京電力福島第1原発事故の放射能や風評被害の話題も出てきた。
国が同年春、食品に含まれる放射性セシウムの新基準値(1キロ当たり100ベクレル)を設定。魚市場は検査体制として、石巻市から簡易測定器を数台借り、職員が交代で連日、早朝から夕方まで検査に当たった。
私が委員長を務めていた、水産関係者と市、県でつくる「石巻放射能対策委員会」も設置し、基準値に近い数値が検出された場合の対応を協議した。
出席者からは「基準値を下回っても、50ベクレルを超す魚は取引しないという量販店が出ている」という報告や、「基準値を500ベクレルから100ベクレルに変えながら、基準を下回っても買わないという動きを放置するのは無責任だ」と国の対応を批判する意見も出た。
生産者が頑張っているのに、風評被害の拡大が足かせになっていた。消費者や流通業者に安全性をアピールする必要性があった。市場では同年夏に、検査で基準値を下回った魚に付けるシールを作成し、買い受け人に配布を始めた。
13年夏には、東北大生活環境早期復旧技術研究センターなどが、被災地支援の一環で前年の秋から実用化を目指していた検査機器を魚市場に設置した。
設置された機器は全長約12メートル。放射能を測定するセンサーがベルトコンベヤーの下にあり、1時間で1400匹を調べることが可能だった。国の基準値の1キロ当たり100ベクレル以上、要注意の50ベクレル以上100ベクレル未満、50ベクレル未満の三つに振り分けてくれた。
それまでの検査は魚をミンチ状態にすりつぶしてから行っていたため、1検体の測定に40~45分を要した。魚体を傷つけずに済む新しいシステムの完成は、9月から始まる底引き網漁に生かされた。
検査体制の整備が進んでも、先の見えない放射能対策や風評被害の対策に終わりはなかった。
放射能については、欧州連合(EU)の基準値は1250ベクレル。日本の新基準は世界標準とかけ離れていた。政府には科学的根拠に基づいた対応をしてほしい。そうしないと石巻地方の水産業界は立ち行かなくなると常に感じていた。
13年は福島第1原発で新たな汚染水漏れが発覚していた。検査体制を充実させて安全な魚しか出荷していないことをアピールしたいという気持ちがさらに強まった。
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