(940)家一つ呑んでいよいよ蔦青し/高田正子(1959年~)
この家は最近増えている空き家や廃屋を連想させる。人の手が入らなくなり放置された家は、蔦(つた)が繁茂して一軒の家を包み込むように広がっていく。「呑(の)んで」は、蔦の圧倒的な生命力を伝える。人が生活していた形跡を自然が覆い隠してしまうことは、時の流れや無常を感じさせる。一方で「蔦青し」からは、青々…
関連リンク
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