(940)家一つ呑んでいよいよ蔦青し/高田正子(1959年~)
この家は最近増えている空き家や廃屋を連想させる。人の手が入らなくなり放置された家は、蔦(つた)が繁茂して一軒の家を包み込むように広がっていく。「呑(の)んで」は、蔦の圧倒的な生命力を伝える。人が生活していた形跡を自然が覆い隠してしまうことは、時の流れや無常を感じさせる。一方で「蔦青し」からは、青々…
関連リンク
- ・(939)我消ゆるわづかばかりの片陰に/岸本尚毅(1961年~)
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- ・(936)大烏賊の腸つかみだす暑さかな/眞鍋呉夫(1920~2012年)
- ・(935)紫陽花や雨にも日にも物ぐるひ/有井諸九(しょきゅう)(1714~1781年)
「秀句の泉」は、俳句の魅力を伝えます。執筆は俳人の永瀬十悟さん(福島県須賀川市)、浅川芳直さん(宮城県名取市)、及川真梨子さん(岩手県奥州市)の3人。古典的な名句から現代俳句まで幅広く取り上げ、句の鑑賞や季語について解説します。