震災伝承の大切さひしひし 新任教諭ら、現地で学ぶ 防災意識新た 石巻
石巻市釜小と青葉中の教師らが22日、同市南浜町のみやぎ東日本大震災津波伝承館と、市の震災遺構門脇小を見学し、防災意識を新たにした。
学校運営に両校学区民らが参画する「コミュニティ・スクール」(学校運営協議会)が初めて主催。新任教諭らに震災を現地で学び、防災教育に役立ててもらおうと企画した。
伝承館の解説員で同協議会の堀川禎則会長は「両校でも震災で39人の子どもが亡くなった。見学で学んだことを学校生活に生かしてほしい」とあいさつ。参加者は堀川会長の案内で、伝承館と門脇小を見学した。
伝承館で堀川会長は「海中での津波は飛行機と同じくらい速い。とにかく高い所に逃げなければならない」と説明した。近くに運河があることに触れ「震災では北上川の50キロ上流まで津波が遡上した記録がある。津波が来たら川や運河にも近づいてはいけない」と訴えた。
本年度青葉中に赴任した菅原黎さん(24)=東松島市矢本出身=は見学を終え「三陸沖で地震が起こるたびに犠牲が出ていた話を聞き、後世に伝え切れていないと思った。震災や避難の仕方を教え、子どもたちを育てるしかない。まずは自分の命を守ることが大切だと伝えたい」と話した。
元教員の菅野さん、語り部デビュー
石巻市の東日本大震災遺構「門脇小」で18日、震災経験者が津波の恐ろしさや被災の教訓を伝える「語り部の話を聞く会」が開かれた。語り部は震災当時、同市渡波中の教員だった菅野美佐子さん(65)。昨年度の語り部・伝承者育成講座を受講し、初めて教訓などを語った。
震災当時、渡波中の体育教師で特別支援学級を担当していた菅野さんは午前中に卒業式を終え、学校にいた際に被災した。一度、校庭に出たが、海の様子を見に行った同僚の「津波だ」という声を聞き、校舎の3階に避難。その後、校舎で住民を受け入れ、避難所運営に当たった。
「震災があった2011年は生徒数が500人を越えていた。子どもたちがいた時だったら冷静に対応できていたか分からなかった」と振り返る。
学校近くの自宅に戻れたのは震災の3日後。1階は津波をかぶり、2階で暮らした。義母が見つからず市内の避難所を回ったが、後日、遺骨で帰ってきたという。その後、中学時代の友人たちが義援金を送ってくれるなど仲間に支えられた。
56歳で退職し、数年前に語り部の講話を聞く機会があった。「自分にも伝えられることがあるかもしれない」と、伝承者育成講座の受講を決意。語り部デビューには教員仲間や友人らが駆け付けた。
菅野さんは「夫とドライブなどで外出した時、近くに避難できる施設や高台はあるかなどを探すようになった。常に想定外のことが起こると考えてほしい」と呼びかけた。
語り部の話を聞く会は本年度3回目。次回は9月15日、当時門脇町の住民だった石川芳恵さんが体験を語る。
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