シベリア抑留・石巻の二階堂さん 遺骨、79年ぶり帰還 「お帰りなさい、お父さん」
第2次世界大戦後、シベリアに抑留され、36歳で亡くなった石巻市前谷地出身の二階堂質郎さんの遺骨が24日、遺族に引き渡された。出征から79年。父の面影を探し続けてきた長男の農業芳正さん(80)は「お帰りなさい。よく帰ってきてくれた」と声を詰まらせ、遺骨を出迎えた。
県社会福祉課の相原幹司課長らが同市前谷地の芳正さん方を訪れ、親族が見守る中、芳正さんに遺骨を手渡した。芳正さんは「終戦から79年が過ぎ、多くの方の協力と科学の力(DNA鑑定)で父に会うことができるとは夢のまた夢のよう。感激でいっぱい」と目を潤ませた。
芳正さんや県によると、米農家を営んでいた質郎さんは20歳だった1931年に最初の召集があり、満州事変に従事した。芳正さんが1歳の誕生日を迎えた45年1月、3度目の召集で満州に出征。終戦後シベリアに抑留され、強制労働に服していた46年、栄養失調と虫垂炎で亡くなった。芳正さんが3歳の時だった。
遺骨は政府の収集団が2017~19年に日本人墓地で収集した183柱のうちの1柱。遺族が提供した試料とDNA鑑定を行った結果、今年6月、18年9月に収容した遺骨が質郎さんと判明した。
芳正さんには父の記憶がない。生前の父については、18年に95歳で亡くなった母おそてさんから「何事にも一生懸命取り組む人だった」と聞いて育った。3度目の召集の際には「戦争に行くために生まれてきたようだ」とこぼし、二度と日本の地は踏めないと覚悟していたという。
父の面影を探し、芳正さんは1982年7月、全国抑留者補償協議会のシベリア墓参団に参加した。戦後36年がたち、ソ連との間に初めて実現した念願の墓参りだった。芳正さんは日本人墓地で父の名前を探したが見付からず、合祀(ごうし)された共同墓地に手製の塔婆を立てて、ササニシキやたばこを供え、手を合わせた。
戻ってきた遺骨は11月、おそてさんが眠る近所の龍石寺に埋葬するという。芳正さんは「両親が夫婦として一緒にいられた時間はわずかだった。戦後、女手一つで姉と私を育てた母に、ようやく一緒にいられるねと伝えたい」と語る。
戦没者遺骨の身元特定にDNA鑑定が導入された2003年以来、これまで県が伝達した遺骨は今回で25件目。
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