滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第4部「大洋漁業」時代編(3) 調査船で航海 ベニザケを狙う
入社2年目、東京の人事部長に呼ばれ、願っていた大洋漁業(現マルハニチロ)の北洋部にあるサケ・マス課に異動することになった。最初の仕事は調査船に乗っての航海だった。
北海道の釧路を出発し、向かうのはベーリング海。母船が来る前に漁場の全体像を把握する。主な仕事は水揚げされるサケの数や種類、海域の水質検査。2週間に1度くらいの頻度で塩漬けにしたベニザケやシロザケ、カラフトマスを母船に渡していた。
最も値打ちがあるのはベニザケ。シロザケもいいが水温帯が広いところに生息するため、いつでも採ることができる。水温が低く、漁期の序盤にしか捕れないベニザケが多くいる漁場が価値があるとされ、各漁業会社が狙っている。
どれくらい魚が捕れたかは見れば分かる。しかし、種類の判別については、当時の技術だと肉眼で判断するしかなく、難しい作業。カラフトマスは小さいので見分けはつくが、ベニザケとシロザケの区別は大変で曖昧な部分もあった。
サケ・マス課の2年目も同じ調査船に乗せてもらうことになった。通常は漁労長などの幹部以外は違う船に乗るのが当たり前だったが、お世話になった漁労長の下で経験を積みたいと思っていたので、私の希望は異例のことだったらしい。
3年目を迎えた時、そろそろ母船に乗れるだろうと思っていたが、会社から「これまでと同じく調査船の船員を続けてほしい」と言われた。
同じ仕事を続けることになったのは、他の社員との兼ね合いがあったようだが、他の会社では同世代が母船に乗ったり、陸上での仕事をしたりと、着実にステップを踏んでいたので、個人的に焦りがあった。
この時期は「いっそのこと辞めてしまおうか」と考えたこともあった。それでも、石の上にも三年という言葉を思い出し、一つの仕事を極めてみようと覚悟を決めて、大卒出身の調査船の漁労長になってやろうと誓いを立てた。
しかし、現実は甘くない。調査船を母船に近づけたり、網を揚げる際の操作など、頭では分かっていてもうまくできず、たたき上げでやってきた周りの船員に比べて、自分がいかに未熟なのかを実感させられた。
通算で5年調査船に乗ったのだが、試練ばかりではない。一つの現場にいたことで顔なじみが増えたのは仕事をする上でプラスだったと思う。
調査船で海洋環境を調べる調査員は私が以前所属していたトロール部の船員が務めることもあったため、水揚げなどの仕事はしないのが普通だった。
ただ、私は漁労長や別な役職になって若手を指導することになった時、一つのことしか知らないのは良くないと感じていた。そこで空き時間を活用し、できることを積極的に提案したり行動したりした。
なかでも、調査船の機関長と協力し、水深100メートルの水温を測る装置を開発したことが記憶にある。会社から発明工夫賞という賞をもらった。それまでは重りを付けたステンレスの容器を沈め、手動で引き上げていたが、私は滑車のような装置を取り入れて作業を楽にすることを可能にした。
工夫賞をもらえた背景には水産大での経験が大きい。練習船に他大学の教授が乗った時、助手として仕事を手伝っていたので科学的な視点や作業効率を上げる方法、研究という仕事に興味を持たせてくれていた。
自分が上の立場に立った時に目配りや気配りができる人になれるかは、末端の仕事をどれだけ経験しているかが大事になってくるのではないかと思っている。
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