滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第4部「大洋漁業」時代編(2) トロール船、初航海後の体重10キロ減
初めて乗ったトロール船では、見たことのなかった機械やシステムが多かった。大学でさまざまなことを学んできたが、未熟さを強く感じた。それでも、多くの人に支えられ、仕事を教えてもらえた。中でも、船長の沢村さんと1等航海士の村上さんに特に親切にしてもらえたことで成長できたと思っている。
沢村さんは中学卒業後から働いているたたき上げの漁師だった。過去に現場でけがを負ってしまったが、勉強を重ねて船長まで上り詰めた。
村上さんは宮城出身で沢村さんと同様に中卒で入社して努力を重ねた人。捕鯨船のまかない担当だったが、捕鯨船事業が下火になったことでトロール部に異動、航海士の免許を取得した。すごい人たちと過ごすことができた。
乗った船(82大洋丸)では船長の休憩中、一時的に操縦を代わることがあった。並行して進んでいた船をかわそうと、テレグラフという装置を使って速度を落とした時に大きな音が鳴ったため、船長がものすごい勢いで戻ってきた。
どうしたのかと聞かれたので説明したら、事故ではないので安心したようだったが、過去に数人の東京水産大(現東京海洋大)OBが他社の船と接触事故を起こしていたことを聞かされ、「だからお前のとこは信用できない」と言われたこともあった。
操業が終わり1970年3月に船を下りた後は、茨城の実家で休んでいた。初めての航海終了後、体重を量ったら10キロ減っていた。船上にいた時は気にならなかったが、気を張っていたのかもしれない。
休息していたある日、陸上人事部の部長から電話が来て「北洋部のサケ・マス課に転籍しないか」と打診があった。
会社にはサケ・マス課に行きたいと話していたし、私自身、サケ・マスの船団長になりたいと思っていた。だが、もう少しトロール船でアフリカや南米での操業を経験してからでもいいと感じていたので「検討させてほしい」とだけ伝えた。
転籍の打診の背景には例年、サケ・マス課がトロールの船員を数人、調査船の応援として借りていたということもある。2カ月ほど乗るのだが、同課への希望を出していたのが私だけだったということもあったのだろう。
水戸から東京に戻り、水産大時代にお世話になっていた先生に相談した。先生は漁業会社の大事な仕事の中に調査船のオペレーションがあることを教えてくれた。
加えて「サケ・マスの船団長になりたいのなら、調査船の船員になって経験を積めば近道になる。断った後、また声がかかるか分からないから行った方がいい」と背中を押してくれた。
その後、すぐに人事部長に連絡を取った。丸の内にあるオフィスを案内され、大きな会議にも出席させてもらった。
そんな仕事上の転換期を迎えていた頃、結婚もした。トロール船の下船後、周囲から「船乗りは出会いが少ない。今結婚しなかったらずっとこのままだよ」と言われたこともあって、学生時代からの知り合いと一緒になった。
彼女は3歳年下で、東京水産大のOB会(楽水会)の事務局で働いていた。私は学生時代から顔なじみになっていて、水戸の家族に会ってもらうなどして東京で暮らすことにした。
結婚式については相手の母親が亡くなったことや、当時の結婚式の費用が高額だったこともあって挙げていない。周囲には「喪中ですので改めてやりますから」と言ってそのままになっている。
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